大航海時代とは15世紀末から17世紀末半ばまで続いた時代の潮流である。
幕を開けたのはポルトガルであった。
当時のヨーロッパでは肉の臭み取りや魚の臭み取りに、香辛料が必用とされていた。
当時は塩漬け肉などが主流の食物であったが、冷蔵庫などは無い時代、肉を塩に漬け込んで腐りにくくしたとはいえ・・・正直腐りかけの肉であった事は想像に難く無い。つまり肉の臭みは非常に酷いモノだったと言えるだろう。
其の為、アジアからもたらされる香辛料は無くてはならない必需品だったのである。
しかし
オスマン・トルコ帝国が東西貿易を押さえた為、アジアでは安価な香辛料がヨーロッパでは非常に高くなっていた。
そこで直接アジアと交易するための新航路を求めるようになる。(1453年オスマン・トルコ帝国は東ローマ帝国のコンスタンチノープルを攻略し陥落させた。)
ポルトガル初代国王ジョアン1世の子エンリケ王子は、航海術や天文学の研究、および船乗りを育てる航海学校の設立などの国家プロジェクトを指揮した。(後に、「エンリケ航海王子」と呼ばれる)
狙いは香辛料の独占による莫大な利益の獲得にあった。
1418年、エンリケ王子が派遣した最初の探検隊は、アフリカ西沖のマディラ諸島に到達。
其の後、南下を続け、1434年にはヨーロッパ人にとっては其の先は無いとされていたポシャドル岬に到達。
1445年には、アフリカ大陸最南端のベルデ岬を越える。
この世界に先駆けた探検によってポルトガルには、金や砂糖などによる莫大な富を得ることになる。
ポルトガルの躍進は1460年のエンリケ王子没後も続く。
1488年、バルトメロウ・ディアスがアフリカ南端の希望岬到達。
1498年には、ヴァスコ・ダ・ガマが希望岬を回って、悲願のインド到達を果たす。
人口150万ほどの小国ポルトガルは大航海時代前半の覇者となっていったのであった。
幕を開けたのはポルトガルであった。
当時のヨーロッパでは肉の臭み取りや魚の臭み取りに、香辛料が必用とされていた。
当時は塩漬け肉などが主流の食物であったが、冷蔵庫などは無い時代、肉を塩に漬け込んで腐りにくくしたとはいえ・・・正直腐りかけの肉であった事は想像に難く無い。つまり肉の臭みは非常に酷いモノだったと言えるだろう。
其の為、アジアからもたらされる香辛料は無くてはならない必需品だったのである。
しかし
オスマン・トルコ帝国が東西貿易を押さえた為、アジアでは安価な香辛料がヨーロッパでは非常に高くなっていた。
そこで直接アジアと交易するための新航路を求めるようになる。(1453年オスマン・トルコ帝国は東ローマ帝国のコンスタンチノープルを攻略し陥落させた。)
ポルトガル初代国王ジョアン1世の子エンリケ王子は、航海術や天文学の研究、および船乗りを育てる航海学校の設立などの国家プロジェクトを指揮した。(後に、「エンリケ航海王子」と呼ばれる)
狙いは香辛料の独占による莫大な利益の獲得にあった。
1418年、エンリケ王子が派遣した最初の探検隊は、アフリカ西沖のマディラ諸島に到達。
其の後、南下を続け、1434年にはヨーロッパ人にとっては其の先は無いとされていたポシャドル岬に到達。
1445年には、アフリカ大陸最南端のベルデ岬を越える。
この世界に先駆けた探検によってポルトガルには、金や砂糖などによる莫大な富を得ることになる。
ポルトガルの躍進は1460年のエンリケ王子没後も続く。
1488年、バルトメロウ・ディアスがアフリカ南端の希望岬到達。
1498年には、ヴァスコ・ダ・ガマが希望岬を回って、悲願のインド到達を果たす。
人口150万ほどの小国ポルトガルは大航海時代前半の覇者となっていったのであった。
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