フランシス・ドレイク
16世紀末、イスパニア(スペイン)とイングランド(イギリス)が戦争に至った背景には、イスパニア船舶に対してのイングランドの海賊行為(私椋、私略)があった。
その私椋海賊の中でとりわけ注目される人物が「フランシス・ドレイク」(1543〜1596)である。

ドレイクは若い頃、親戚であるジョン・ホーキンスの元で、奴隷の密貿易をしていた。
ところが1567年、メキシコの港でイスパニア海軍に急襲されて3隻の船と共に拿捕されて、その後やっとこさ逃げ帰ると云う苦い経験をした。
この時の拿捕された船の一隻がエリザベス女王のものだった事から、イスパニアとイングランドの関係は険悪になる。そして英国船はイスパニア船舶を襲撃するようになる。

ドレイク自身も1568年に自ら船を調達して船長となり、西インド諸島・チリ・ぺルーなどでイスパニア船や植民地を襲って財宝などを奪い取って回った。そして1580年には太平洋を横断して、希望岬周りで帰国。マゼラン以来の史上2人目の世界一周を成し遂げた。
帰国後、ドレイクは略奪した財宝をエリザベス女王に献上して、イングランドの人々から熱狂的な歓迎を受けた。その財宝の額は、当時のイングランドの国家歳入を上回るものだったという。

一方、被害者側のイスパニアは怒っていた。当時の国王フェリペ2世は、ドレイクを処刑するようにと使者を送って抗議した。
エリザベス女王は使者をつれてドレイクの所に行き剣を抜いた。そしてその剣をドレイクの肩に置き、ドレイクを騎士爵位(ナイト)に叙して見せたのである。
敵国に対する私椋海賊行為は、貴族の地位に相応しい勇気ある行為と意思表明したのである。

こうしてフランシス・ドレイクは、奴隷貿易の密売人から私椋海賊をへて財宝の献上(この献上が大切!)をして、騎士爵位(貴族)に成り上がったのである。

この後イスパニアとイングランドの国関係は、アルマダの海戦に発展していくのである。

コメント

nophoto
ビルト
2006年8月20日12:42

そして次回はアルマダの海戦なのねw

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