蜂蜜酒 (はちみつしゅ、ミード、mead)
2006年9月24日 グルメ
■蜂蜜酒(はちみつしゅ、ミード、mead)は、酒の一種。日本の酒税法では、その他の雑酒?、又はその他の醸造酒?に該当する。
欧米では製法がワインに似てることからワインの仲間とされる場合が多い。
蜂蜜を水で薄めてアルコール発酵させて作る。
蜂蜜は糖分に富むが、極めて浸透圧が高いので微生物の繁殖が抑制されている。
しかし
水で薄めると糖分の濃度が下がり、酵母の繁殖に適した浸透圧となるので発酵が始まる。
単に水で薄めるだけでも蜂蜜中で休眠していたり空気中から落下する天然の酵母によって発酵が起こるが、人工的に酵母を添加したほうが失敗は少ない。
●古代から中世初期のゲルマン人の間で、ビールと並んで最も一般的な酒であった。
●製法の一例として、水で三倍程度に薄めた蜂蜜に酵母(ドライイースト)を加えて、夏場は2-3日、冬場は1週間ほど発酵させる。
蜂蜜にワインやブランデー、生薬や香料を加えて作る方法もある。
■新婚旅行をハネムーンという語源でもある。
古代から中世のヨーロッパにおいて、新婚直後の新婦は住居から外出せずに1ヶ月間、蜂蜜酒を作り、新郎に飲ませて子作りに励んだ。
これは蜂蜜に強壮作用があるとされたことと、ハチの多産にあやかるためではないかとされる。
ここから「蜂蜜の一ヶ月」=「蜜月」(ハニームーン)という言葉が生まれた。
蜜月(honeymoon)とはゲルマンの習慣で、婚礼から1カ月の間、新婚夫婦とその親族が蜂蜜酒をのみつづけることを意味するが、ここでいう月とは太陰暦の1カ月であり、女性の月経の周期と一致する。
花婿が月経中に花嫁と交わることは、生命の源泉にふれることでもあった。ミトラ(Mithra)信仰における聖なる蜂蜜は、月の女神であるディアナ(Diana)あるいはルナ(Luna)によってもたらされる「知恵の血」であるとされた。
■それはリンディスファーン・ミード(Lindisfarne Mead)という名前で、 ケルト の伝統文化とキリスト教がむすびつくことでうまれたアイリッシュ・イルミネーションの成果の一つとして、7世紀末にイングランド西海岸のリンディスファーン島の修道院で製作された「リンディスファーン福音書(ゴスペルズ)」――世界でもっとも美しい彩飾写本(Illuminated Manuscripts)の一つ――の故郷でつくられた酒であったのだ。
リンディスファーン・ミードの瓶のラベルには、「リンディスファーン福音書」からとられた絵と文字が描かれていたという。
ミードもケルト文化の産物であり、青銅器時代後期にはすでにつくられていたらしい。
ケルト人がビールの醸造をはじめるのは、鉄器時代にはいってからである。葡萄酒の醸造の歴史は、ほぼ1万年前までさかのぼることができるが、蜂蜜酒はさらに歴史が古く、人類最古の酒とさえいわれている。
■コリン・ウィルソンの『わが酒の讃歌――文学・音楽・そしてワインの旅』(田村隆一訳、徳間書店、1975)には、「蜂蜜酒のふるさとを求めて」という節があり、その中でミードとのであいがのべられている。
1954年、ワイン会社の事務員をしていたウィルソンは、机の引出しからミードの広告用パンフレットをみつける。
それはコーンウォールのグルバルという村の昔の修道院を利用した醸造所でつくられており、ホック(hock、イギリス人はドイツのライン・ワインをこうよぶ)の瓶にはいっていて、甘口から辛口までの6種類があった。
その年の7月の末、彼は休日を利用してコーンウォールにでかけ、グルバルのミード醸造所を訪ねるが、資金難のためすでに閉鎖された後だった。
その3年後、
コーンウォールに住むことになったウィルソンは、あるホテルのバーでグルバル・ミードを飲む機会をえた。
それは「黄色がかった色」の「かなり辛口の奇妙な飲物で、かすかに蜂蜜の匂いがした」という。
また、「ゼラニウムに似てなくもない変わった香りを持ったホック、という感じだった」とも書いており、「それは、すぐに病みつきになるという飲み物ではなかった。
しかし時間が与えられれば、私はその信者になることができたと思う」とのことである。
ずっと後になって、グルバル修道院はパブになり、ウィルソンはふたたびそこを訪れ、ミードを味わう。
その時のミードは「金色でミディアム・シェリーの感じで、かなり強い蜂蜜の匂いがした」。
■このミードの名前は、イギリスの詩人チョーサー(Geoffrey Chaucer、 1340-1400)の『カンタベリー物語』(The Canterburry Tales、 1393-1400)にちなんでいるそうだが、後にこの『カンタベリ物語』の影響をうけて、ウィリアム・モリスは『地上楽園』(The Earthly Paradice、 1868-1870)を書くことになる。
■古代においては蜂蜜は、塩とならぶ神聖な物質とかんがえられた。蜂蜜と塩は防腐作用をもつため、再生をつかさどる聖なる物質とされたのだ。
バビロニアでは死者は蜂蜜漬にされ、再生の時にそなえて胎児の姿勢で瓶にいれられた。
○チュートン族において宇宙を生成させた巨人イミル(Ymir)は、蜂蜜酒のはいった大なべをもち、それは知恵と力と変身能力をあたえた。
バビロニアの運命の女神シリスは、天界を象徴する大なべの中で再生の力をもつ蜂蜜酒を醸造した。
これらの蜂蜜あるいは蜂蜜酒は、聖なる血をあらわした。
○ギリシャ神話におけるメデア(Medea)はサンスクリットのmedha(女性の知恵)を語源とし、「知恵の蜂蜜酒」(Mead of Medea)を意味する。
アイソン王は、メデアの煮えたぎる大なべの中から再生した。
○神々の酒であるネクタル(nectar)は直接に蜂蜜をあらわすほかに、北欧神話ではクバシール(Kvasil)の血からつくられた蜜や酒でもある。
また蜂蜜と経血を混合した万能の秘薬としての蜂蜜酒(hydromel)でもあった。
★大航海時代オンラインの中では、いくら飲んでも酔い潰れ無い御酒として登場してきます
欧米では製法がワインに似てることからワインの仲間とされる場合が多い。
蜂蜜を水で薄めてアルコール発酵させて作る。
蜂蜜は糖分に富むが、極めて浸透圧が高いので微生物の繁殖が抑制されている。
しかし
水で薄めると糖分の濃度が下がり、酵母の繁殖に適した浸透圧となるので発酵が始まる。
単に水で薄めるだけでも蜂蜜中で休眠していたり空気中から落下する天然の酵母によって発酵が起こるが、人工的に酵母を添加したほうが失敗は少ない。
●古代から中世初期のゲルマン人の間で、ビールと並んで最も一般的な酒であった。
●製法の一例として、水で三倍程度に薄めた蜂蜜に酵母(ドライイースト)を加えて、夏場は2-3日、冬場は1週間ほど発酵させる。
蜂蜜にワインやブランデー、生薬や香料を加えて作る方法もある。
■新婚旅行をハネムーンという語源でもある。
古代から中世のヨーロッパにおいて、新婚直後の新婦は住居から外出せずに1ヶ月間、蜂蜜酒を作り、新郎に飲ませて子作りに励んだ。
これは蜂蜜に強壮作用があるとされたことと、ハチの多産にあやかるためではないかとされる。
ここから「蜂蜜の一ヶ月」=「蜜月」(ハニームーン)という言葉が生まれた。
蜜月(honeymoon)とはゲルマンの習慣で、婚礼から1カ月の間、新婚夫婦とその親族が蜂蜜酒をのみつづけることを意味するが、ここでいう月とは太陰暦の1カ月であり、女性の月経の周期と一致する。
花婿が月経中に花嫁と交わることは、生命の源泉にふれることでもあった。ミトラ(Mithra)信仰における聖なる蜂蜜は、月の女神であるディアナ(Diana)あるいはルナ(Luna)によってもたらされる「知恵の血」であるとされた。
■それはリンディスファーン・ミード(Lindisfarne Mead)という名前で、 ケルト の伝統文化とキリスト教がむすびつくことでうまれたアイリッシュ・イルミネーションの成果の一つとして、7世紀末にイングランド西海岸のリンディスファーン島の修道院で製作された「リンディスファーン福音書(ゴスペルズ)」――世界でもっとも美しい彩飾写本(Illuminated Manuscripts)の一つ――の故郷でつくられた酒であったのだ。
リンディスファーン・ミードの瓶のラベルには、「リンディスファーン福音書」からとられた絵と文字が描かれていたという。
ミードもケルト文化の産物であり、青銅器時代後期にはすでにつくられていたらしい。
ケルト人がビールの醸造をはじめるのは、鉄器時代にはいってからである。葡萄酒の醸造の歴史は、ほぼ1万年前までさかのぼることができるが、蜂蜜酒はさらに歴史が古く、人類最古の酒とさえいわれている。
■コリン・ウィルソンの『わが酒の讃歌――文学・音楽・そしてワインの旅』(田村隆一訳、徳間書店、1975)には、「蜂蜜酒のふるさとを求めて」という節があり、その中でミードとのであいがのべられている。
1954年、ワイン会社の事務員をしていたウィルソンは、机の引出しからミードの広告用パンフレットをみつける。
それはコーンウォールのグルバルという村の昔の修道院を利用した醸造所でつくられており、ホック(hock、イギリス人はドイツのライン・ワインをこうよぶ)の瓶にはいっていて、甘口から辛口までの6種類があった。
その年の7月の末、彼は休日を利用してコーンウォールにでかけ、グルバルのミード醸造所を訪ねるが、資金難のためすでに閉鎖された後だった。
その3年後、
コーンウォールに住むことになったウィルソンは、あるホテルのバーでグルバル・ミードを飲む機会をえた。
それは「黄色がかった色」の「かなり辛口の奇妙な飲物で、かすかに蜂蜜の匂いがした」という。
また、「ゼラニウムに似てなくもない変わった香りを持ったホック、という感じだった」とも書いており、「それは、すぐに病みつきになるという飲み物ではなかった。
しかし時間が与えられれば、私はその信者になることができたと思う」とのことである。
ずっと後になって、グルバル修道院はパブになり、ウィルソンはふたたびそこを訪れ、ミードを味わう。
その時のミードは「金色でミディアム・シェリーの感じで、かなり強い蜂蜜の匂いがした」。
■このミードの名前は、イギリスの詩人チョーサー(Geoffrey Chaucer、 1340-1400)の『カンタベリー物語』(The Canterburry Tales、 1393-1400)にちなんでいるそうだが、後にこの『カンタベリ物語』の影響をうけて、ウィリアム・モリスは『地上楽園』(The Earthly Paradice、 1868-1870)を書くことになる。
■古代においては蜂蜜は、塩とならぶ神聖な物質とかんがえられた。蜂蜜と塩は防腐作用をもつため、再生をつかさどる聖なる物質とされたのだ。
バビロニアでは死者は蜂蜜漬にされ、再生の時にそなえて胎児の姿勢で瓶にいれられた。
○チュートン族において宇宙を生成させた巨人イミル(Ymir)は、蜂蜜酒のはいった大なべをもち、それは知恵と力と変身能力をあたえた。
バビロニアの運命の女神シリスは、天界を象徴する大なべの中で再生の力をもつ蜂蜜酒を醸造した。
これらの蜂蜜あるいは蜂蜜酒は、聖なる血をあらわした。
○ギリシャ神話におけるメデア(Medea)はサンスクリットのmedha(女性の知恵)を語源とし、「知恵の蜂蜜酒」(Mead of Medea)を意味する。
アイソン王は、メデアの煮えたぎる大なべの中から再生した。
○神々の酒であるネクタル(nectar)は直接に蜂蜜をあらわすほかに、北欧神話ではクバシール(Kvasil)の血からつくられた蜜や酒でもある。
また蜂蜜と経血を混合した万能の秘薬としての蜂蜜酒(hydromel)でもあった。
★大航海時代オンラインの中では、いくら飲んでも酔い潰れ無い御酒として登場してきます
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