チャイ
★「チャイ」という飲み物。これは紅茶のことです。トルコの国民的飲料だそうで、小さな独特のグラスで飲みます。
チャイを飲みながら、のんびりお喋りする茶店(喫茶店)がチャイハネです。

★チャイCay
日常生活のさまざまな場面でトルコ人がぜったい手放せない飲み物。二段式のやかん(サモワール)で沸かす作り方、
ふちまでなみなみと入っているので熱くて持てないチューリップ型の小さなグラス、添えられたかわいいスプーン、
出前を頼むと取っ手のついたトレイにたくさんチャイを載せて運んでくれるチャイ屋さん、チャイに関わるすべてのものがトルコらしくて美しい。

トルコ人の生活になくてはならない飲み物だけれど、その歴史は意外に浅く、1878年にもたらされた(日本からとの説もある)種の試験栽培がトルコにおける茶の栽培の始めだと言われている。
お茶が組織的に栽培されるようになったのは1918年のことで、リゼとアルトヴィンで始まった。現在もこの地は茶の産地として名高い。
現在、茶葉は東黒海地方一帯で盛んに栽培されている。海沿いの多雨で湿潤な気候、山がちな地形は茶葉栽培に向いており、
景観もどことなく静岡など日本のお茶畑を髣髴とさせる。

チャイがチャイ以外で登場することはきわめて稀。
紅茶ゼリーや紅茶ケーキなど紅茶を使ったお菓子などは存在しないし、数年前まではアイスティーも存在しなかった。
チャイを冷たくして飲むなどトルコ人には考えられないことなのだ。
いまは「アイスティー」という商品名のドリンクはあるが、それは缶入りの甘ったるいドリンクなので、レストランや喫茶店のメニューで見つけてもご用心。
高級ホテルのラウンジなどでは「冷たい紅茶」がメニューにあることもある。
こちらはアイスティーとは言わず、「ブズル・チャイ(氷入り紅茶)」とトルコ語名がついている。

★チャイ
インドの煮出し式ミルクティー「チャイ」。たっぷりのミルクとコクのある茶葉で、トロりと甘いあったかチャイが愉しめます。

チャイ用スパイス。
シナモン, カルダモン, クローブ, ジンジャー, ブラックペッパー
500mlのチャイに対して約1g(ティースプーンすりきり一杯)

■チャイの歴史
紅茶はヨーロッパだけではなく陸路を経て、東南アジアやシベリア地方からポーランドまで各地に広く伝わり、人から人へ、村から村へと様々な民族の生活や風習に取り入れられ、その土地に根付いていった。
そこにはイギリスとは違う茶の文化があった。

その一つにチャイと呼ばれるものがある。
その作り方は、『茶は飲むもの』という多くの日本人の既知の概念に沿うものだけではなく、
タイ北部の人々のような、ナッツやしょうが、肉なども一緒に入れて煮込む『食べる茶』というものでもあった。
食べることが目的でなくともチベットでは、チャイをベースに塩、バターなどを加えて飲んだ。
それは、ヨーロッパのように嗜好品的な扱いをする茶とは異なり、日々の生活の中で身を守り、栄養補給を目的とした必需品としての茶である。
(ある意味、お茶漬けなどの海外版と言えるかも・・・)

シルクロード沿いの遊牧民の間で広まっていった茶の文化は、マナーだのこだわりだのを越えた、生きるための飲み物であり、
ハーブやスパイス、ミルクに酒と、自由に組み合わされ、その味が受け継がれてきた。

●お茶としての歴史

・中国
唐の時代に盛んになり陸羽(? - 804年)の書いた『茶経』(最古の茶の書籍)が著された。
北宋の時代に栄えたとされ、ワインのように茶を試飲して産地や銘柄を当てる茶会の闘茶が開催された。
また、国内においては専売を布き、国外においては大量の輸出を行って北宋以後の王朝の財政収入に貢献したとされる。
主に緑茶が飲まれた地域が多かったがウーロン茶などの半醗酵茶が飲用された地域もあった。

・日本
いつ茶が日本に伝わったのかははっきりしていない。
茶は薬用として禅宗の修行に用いられていることから僧侶が関わっているとみられる。
かつては栄西によってもたらされたのが最初と考えられていたが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強い。
ただし古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられる。

茶の栽培は栄西が中国から茶の苗木を持ち帰ったのが最初で、そこから日本に喫茶の習慣を広めたとされている。
当初は薬としての用法が主であったが、栽培が普及すると共に嗜好品として飲まれるようになった。
一時は中国のように闘茶が行われることもあったが、次第に場の華やかさより主人と客の精神的交流を重視した独自の茶の湯へと発展した。
当初は武士など支配階級で行われた茶の湯だが、江戸時代に入ると庶民にも広がりをみせるようになる。
煎茶が広く飲まれるようになったのもこの時期である。
茶の湯は明治時代に茶道と改称され、ついには女性の礼儀作法の嗜みとなるまでに一般化した。

・ヨーロッパ
ヨーロッパに茶が伝わったのは16〜17世紀。18世紀には紅茶が広く愛用され、イギリスでは午後の喫茶の習慣が起こった。
初期には熱すぎて飲めないということでソーサーでさまして飲むという習慣ができた。
またイギリスから植民地のアメリカに輸出された紅茶には高い植民地税が課せられており、
これを不満とする市民が起こしたボストン茶会事件が原因でアメリカ独立戦争がおきアメリカ合衆国誕生のきっかけとなった。

●植物としての茶(チャノキ)
チャノキとは、ツバキ目ツバキ科ツバキ属の常緑樹である。単に茶(ちゃ)と言うこともある(茗(めい)と書くこともある)。
原産地は中国南部とされているが確かなことはわかっていない。
中国や日本で栽培されている1m前後の低木(学名: Camellia sinensis)と、
インド・スリランカなどで栽培されている8〜15mにも達する高木(アッサムチャ。学名: C. sinensis var. assamica)の二種類がある。
樹皮は滑らかで幹の内部は堅い。
日本産のものと中国産のものは植物学上同一種として扱われているが、花卉の形状などに明らかな違いが認められる。

日本では、栽培される以外に、山林で見かけることも多い。
古くから栽培されているため、逸出している例が多く、山里の人家周辺では、自然林にも多少は入り込んでいる例がある。
また、人家が見られないのにチャノキがあった場合、かつてそこに集落があった可能性がある。

▼各国語における茶を意味する単語
世界で’茶’を意味する語の発音を分類すれば、チャ系統のものとテー系統のものがある。
「チャ」は主に「陸路で伝わった」が、大航海時代以降の伝播では中国語のうち、広東語での呼び名であるチャ (ch’a) に由来するものと、
福建省厦門(アモイ)地方の方言(ミン南語)での呼び名のテー (teiまたはte) に由来すると考えられる。
ポルトガルが広東省のマカオから茶を運んだため、ポルトガル語でも「チャ」の発音が見られる。
また、オランダがアモイから茶を運んだため、オランダから茶を輸入した国では「テ」の発音が定着し、「テは海路で伝わった」と言われる。
’茶’を意味する単語をもつ言語でこの両者の系統に属さないものは極めて珍しい。

日本語の茶の字音は呉音「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」である。
「チャ」という音は院政時代の『色葉字類抄』から見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられる。
また朝鮮語漢字音も「タ」と「チャ」があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いる。

コメント

goodbye
goodbye
2006年10月24日1:56

おお〜 今回の記事は大作になりましたね〜^^
一度ヒマラヤ近くのとある地方を旅したときにバター茶(現地名を失念)を飲んだことがあります。チベット民族に由来するものだけど、発酵物やらアルコールやらの風味もして、記事にある通りまさに“生きるための飲み物”でした。伝播ルートで音が違うというのは面白いですね。なるほど〜。

リリファーム
リリファーム
2006年10月24日21:45

>> goodbyeさま
ヒマラヤ近くの地方に行ったんですかぁ・・・すごいなぁー。

マーロウ
マー老
2006年10月24日22:39

 バター茶は一度飲んでみたいお茶です。
 インドの電車内のチャイ売りは深夜2時とか3時に突然現れでかい声で「チャイチャイチャーイ!!」とチャイを売りに来たことを思いだします。さすがインド、無茶苦茶やなーと思った記憶が蘇りました・・。

稲川淳子
バーチャルネット海賊きゅんきゅん☆14歳
2006年10月25日5:36

独裁者マウスと愛知万博でチャイ飲んできた…

リリファーム
リリファーム
2006年10月25日14:16

>> マー老さま
インドのチャイ売りさん凄いですね〜。^^

>> バーチャルネット海賊きゅんきゅん☆14歳さま
なんか凄い御方とチャイしたんですね。すごいなぁ〜〜〜

ちなみに、チャイ飲んだ(トルコ風の)事有るのですが・・・寸前に飲んだラキ酒の風味が口に凄く残ってて、味がワカラナイ感じですた。^^;;;

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