呂布奉先
呂布(りょふ、リュイ ブゥ)、生年不詳 - 198年)は後漢末期の武将、群雄。字は奉先。五原郡九原県(現在の内蒙古自治区内)の生まれ。戦乱の後漢末期にあって群を抜く武勇を誇り、三国志の物語等では最強の武将として描かれる。

董卓政権下
『三国志』によると、はじめ河内に并州刺史として駐屯していた丁原に騎都尉・主簿として仕え、重用された。189年、霊帝死後の混乱の中で丁原とともに首都洛陽に入るが、中央の権力獲得を図る董卓とやがて衝突した。董卓は丁原殺害を目論むと、その下にいる呂布に謀反をもちかけた。誘いをかけられた呂布は丁原を斬り、そのまま董卓に仕えて信愛を得た。董卓は呂布を非常に重用し、養子とした。さらに董卓によって騎都尉に任ぜられ、まもなく中郎将に累進し、さらに都亭侯に封じられた。 絶大な権力を握った董卓は傍若無人な振る舞いで多くの人の恨みを買ったが、傍らに呂布が侍していたために誰も表立って逆らう者はいなかった。

呂布は腕力が常人よりもはるかに強く、弓術・馬術にも秀でていたため、前漢時代に活躍した李広になぞらえて飛将と呼ばれていた。『三国志』の注に引かれている『曹瞞伝』(これ自体は散逸)によると、彼の乗馬「赤兎」とともに「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞されたという。その一方で知謀には欠け、敵対する者からでも利益で誘われるとすぐに行動をおこしてしまうという、節操がなく物欲の強い性格であったようである。

董卓暗殺
ある時董卓は一時の怒りから呂布に手戟(小さな剣)を投げつけたが、体術に優れていた呂布は見事にかわして事なきを得た。しかしそれ以来、呂布は董卓に不満を持つようになった。さらに呂布は董卓の侍女(『三国志演義』では司徒王允の養女貂蝉)と密通しており、それが露顕することを恐れていた。この両者の隙に乗じ、暴虐の限りを尽くす董卓の抹殺を目論む王允は呂布に董卓暗殺を唆す。192年、ついに呂布は董卓を殺害し、その恐怖政治を終わらせた。 しかし董卓の軍事力の基礎であった郭?、李カクら涼州の軍勢が首都長安(董卓によって洛陽から遷都)に侵入、呂布はしばらく応戦したものの支えきれず、数百騎のみを率いて武関から逃亡した。

中原を彷徨う
呂布はまず袁術を頼ろうとするが、拒否されている。次に張燕ら黒山賊と戦う河北の袁紹に助太刀した。呂布の軍は強く、精強を誇った黒山賊を撃破した。しかし呂布はその後袁紹に兵力の補充を要求し、彼の兵も略奪などを行ったので、袁紹の忌むところとなり、呂布もそれを察して彼の下を離れた。さらに袁紹は彼に刺客を送るが、失敗。呂布は河内の張楊を頼ったが、呂布を恐れる袁紹が大軍を出してこれを駆逐してしまう。他の勢力も呂布の武勇と粗暴さを畏怖し、あえて迎え入れようとはしなかった。

そうした流浪の中、呂布は陳留を通過し、曹操の旧友であり信頼も厚い太守張バクに厚くもてなされる。しかしやがて張バクは時の権力者袁紹がお尋ね者とする呂布を歓待したことで、袁紹の命令の下曹操に攻撃されることを恐れるようになった。さらに曹操の部下でありながら彼に不満を持つ陳宮に説得され、呂布を盟主としてエン州刺史とし、曹操に反旗を翻した。蝗害に苦しみつつも2年以上にわたって両軍は激しく戦うが、ついに呂布は曹操に敗れ、徐州の劉備を頼って落ち延びた。

徐州を支配
まもなく劉備が袁術と合戦を行うようになり、袁術は呂布に劉備の背後を衝くようにもちかけた。呂布は張飛と曹豹の争いに乗じて劉備の本拠下ヒを奪い取り、徐州の刺史を自称した。行き場を無くした劉備は結局呂布に従う羽目になり、支城の小沛に駐屯させられた。

この後、袁術は武将紀霊らに兵三万を率いさせて再び劉備を攻め、劉備は呂布に救援を求めた。呂布軍の諸将は「将軍は常に劉備を殺そうとしていたのですから、袁術に手を貸すべきです」と救援に反対したが、呂布は「いや、もし袁術が劉備を撃破すれば、北の泰山の軍閥と連携することになり、わしは袁術らに包囲されてしまうことになる。救援せざるをえない」と主張して、劉備の陣中に介入した。紀霊たちは呂布が現れたと聞くや兵を纏めて攻撃を中止していたが、呂布は両陣営の将を安屯に集めさせて和解させようと図った。

呂布は、「劉備はわしの弟だ。弟が諸君らのせいで困っておるので、助けに来たのだ。わしは合戦を好まず、和解を喜ぶ性格なのだ」と言い、軍候に命令して戟を陣営の門に植えた。「わしが戟の小支を射るのを見よ。一発で当たれば兵士を解いて去れ。できなかったらこのまま決戦せよ」と言って呂布が放った矢は見事に命中し、驚愕した諸将は皆引き揚げていった。

最期
その後、袁術は呂布に婚姻を持ちかけ、呂布もこれを受けようとしたが、沛国の相である陳珪はこの二人が連携することで騒乱がさらに深まることを恐れ、呂布を唆して縁談を破談させ、曹操と連携させた。怒った袁術は呂布に大軍を差し向けるが、陳珪の離間の計により袁術軍は混乱し、そこを突いた呂布軍によって大敗した。一方で陳珪は息子陳登を首都許昌(曹操によって遷都)に遣わし、呂布に左将軍の官位を与えて油断させるとともに、皇帝を擁して急速に勢力を強大化しつつあった曹操に呂布を討つようそそのかした。

建安3年(198年)、呂布は再び袁術側につくと小沛の劉備を攻撃した。曹操は夏侯惇を派遣して劉備を救援させたが、呂布の部下高順に敗退し、小沛は陥落し、劉備の妻子は捕虜となった。そこで曹操は自ら大軍を率いて徐州に攻め込んだ。呂布は優れた武勇を見せたものの、計略に疎く猜疑心が強いため部下の諸将を統御できず、連戦連敗となり、下ヒ城に追い詰められた。包囲3ヶ月、冬季の水攻めに遭った呂布軍の士気は阻喪し、ついに将軍の侯成・宋憲・魏続が反乱を起こし、陳宮を捕縛して曹操に差し出して降伏した。追い詰められた呂布は残った部下とともに白門の城楼に上ったが、包囲が厳しくなるのを見てついに降伏した。呂布は縛り首に処され、陳宮・高順らは斬首された。

『三国志演義』では、籠城中に自分だけ豪勢な食事をし、酒ばかり飲んでいて部下を殴りつけたり怒鳴り散らしていたため人心を失い、自分を戒めるために禁酒令を出したが、部下の侯成が善意から猪料理と酒を薦めたのに対し腹を立て、百叩きの刑とした。それが恨みを買う一因となって酒に酔って寝ていた所を侯成・宋憲・魏続に捕らえられてしまう。 陳宮・高順らが斬首された後、捕らえられて曹操に命乞いをするものの、劉備に「丁原や董卓の時のように裏切るかもしれませんぞ」と言われた曹操は処刑を決意する。これに激怒した呂布は「この大耳野郎が。陣門で戟を射て助けてやったことを忘れたのか!!この恩知らずめ」と口を極めて劉備を罵ったが、同じくして処刑のために連行されてきた張遼に「見苦しい」と罵られた。主を殺し、裏切り、自分の武勇のみで乱世を生き抜き最期は部下に裏切られその生涯を終えた。

伝説 物語の中での呂布
簡潔な文章が多い正史『三国志』にあって、呂布をめぐるエピソードは非常に多く収録されている。陳寿が執筆したのは呂布の死後70年から80年後のことであるが、それだけ彼が記憶に残り、多くの伝承を残した人物だったということだろう。「軍門に戟を射る」等、『三国志演義』にそのまま使用されたエピソードも多い。その武勇と共に、反覆を繰り返す「裏切りの将」としても語り継がれ、正史では「歴史上、彼のような人物が破滅しなかったためしはない」とまで言い切られている。 人物像の描写も酷似しているが、武勇のさまはより猛々しく・華やかに、また欲望に弱く、判断力に欠ける点など人間的な面も際立たせ、『演義』を彩る大きな個性として際立った存在感を持つ。また、『演義』文中の描写や、連環画での武者姿は、『曹瞞伝』に記述のある赤兎馬にまたがり、さらに本来は三国時代にはなかった「方天画戟」を愛用の武器として、きらびやかな鎧をまとうという、豪奢なものである。また、彼の驍勇無双ぶりを最もよく表すシーンとしては、虎牢関の戦いにおいて張飛と互角の打ち合いをし、関羽、劉備が加わってもなお持ちこたえる「三英戦呂布」が特に有名である。

引用ウィキペデイア
裏切りの一生という感じの武将でした。三国志では最強の武将として描かれます。

参考HP「呂布 〜地上最強の武将〜」
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/9481/3/ryofu.htm

「呂布軍推進委員会!」
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Domino/6999/r.html
 
 
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コメント

風神RED
風神RED
2008年5月16日15:01

魔人ブゥは実は呂布?!

リリファーム
リリファーム
2008年5月16日17:24

>>風神RED様
そうですね〜兎に角強くて策略(利益や女)に弱いのが呂布なんですよ。
強さだけなら魔人ブウのような感じであってると思います。

風神RED
風神RED
2008年5月16日17:54

中国語読みとも合うしな。

リリファーム
リリファーム
2008年5月16日18:18

>>風神RED様
そうですね!!気が付かなかったけど、合ってますね!!!

69
69
2008年5月16日19:13

画像の呂布に萌え>w<

リリファーム
リリファーム
2008年5月16日20:00

>>69様
えっとこの絵は「恋姫無双」から拝借したモノでし。^^;
呂布という飛将に相応しく無い感じのギャップを楽しんで頂けたらなぁ・・・・とか思って載せました。
萌え絵は結構好きです。

nophoto
ブルモーター
2008年5月17日0:31

なんか、ちょっぴり読みづらい名前ですね・・・(汗)。

リリファーム
リリファーム
2008年5月17日7:28

>>ブルモーター様
そうですね。でも凄く強い方なので人気ある方です。

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