マテ茶

2006年12月6日 グルメ
マテ茶
■マテ茶は、南米を原産とするイェルバマテ(yerba mateまたはhierba mate)の葉や小枝を乾燥させた茶葉に、水または湯を注ぎ成分を浸出した飲料である。(地域によってはイェルバマテを使わなくても乾燥茶葉に水や湯を注いだ飲料を一般にマテと呼ぶこともある。)
ビタミンやミネラルの含有量が極めて高く、飲むサラダとも言われている。このため、コーヒーや茶と同様の嗜好品ではあるが、単なる嗜好品の枠を超えて、野菜の栽培が困難な南米の一部の地域では重要な栄養摂取源の一つとなっている。
日本茶に緑茶とほうじ茶があるように、マテ茶の茶葉にもグリーン(緑茶)とローストしたものがある。味わいはグリーンの場合、多少の青臭みと強い苦味を持つ。ローストは焙煎により青臭みが消え、香ばしい風味が付加される。ローストした茶葉は水出し用に利用されることが多い。
 
 
■伝統的な飲み方は茶器に容量の1/2ないし3/4程度の茶葉を直接入れ、水または摂氏70〜80度程度のお湯を注ぐ。ここに先端に茶漉しがついた専用のストローを差し込み抽出液を飲む。
容器はヒョウタン製のものはマテ、クイアまたはポロンゴなどといい、木製や角製のものはグァンパ(グァンポ)と呼ばれる。またストローはボンビーリャと呼ばれる金属製で先端が膨らみ、茶葉を漉しとるための無数の小穴の開いている。

近年では、ティーポットで淹れて抽出液のみをカップに注いで飲む場合も多い。ティーバックも普及している。
しかし、マテ茶の淹れ方としては伝統的な方法が最も理にかなっている。
ボンビーリャで飲む場合、細かい茶葉を漉しきれずに抽出液と一緒に口に入ってくる。このため茶葉の一部を食べることになり、マテ茶の栄養成分を最も効率よく取り込むことが可能となっている。
湯は摂氏90度より熱いと金属製のストローでは唇が熱くてとても飲むことは出来ない。

気温が高い地域では水出しでマテ茶を飲むことが多く、パラグアイではマテ茶に薬草やハーブを混ぜて水出ししたテレレと呼ばれる飲み方が一般的である。(単に「マテ茶」というと暖かいものを指し、テレレと区別している人もいる。)
茶葉に湯を注ぎそのまま飲むのが伝統的な方法であるが、現地でも砂糖を入れ甘みを加える飲み方が一般的になっている。
また、スパイスや薬草・ハーブ等を混ぜて風味を変えたり、牛乳を加える飲み方も広く行われている。

パラグアイ・アルゼンチン・ウルグアイ・ブラジル南部では、一組の茶器を使い複数人がマテ茶を回し飲みする習慣がある。
ホスト役が茶器とボンビーリャを使いマテ茶をたて、一煎めは自分で飲む。
二煎目からは順番に参加者に回していき、各人が満足するまで何杯でも回し続ける。客はホストから茶器を受け取り自分ですべて飲んでホストに返す。客から別の客に直接茶器を渡すことはせず、受け取った茶は自分ですべて飲みきりホストに返すのが作法である。
茶器をホストに返すときにGracias(ありがとう)と言うと「もう満足しました」という意味になるので次からは自分に茶は回ってこない。客から茶器を戻されたホストは湯を注ぎ、場合によってはボンビーリャの差している位置を調整したり茶葉を追加して味を調えた上で次の客に渡す。
ボンビーリャの位置を動かすと茶漉し部分が目詰まりしたり、味の濃さが変化するので、客は勝手にボンビーリャを動かしてはならない。

★大航海時代オンラインゲームの中でも交易品として「マテ茶」は出てきます。美味しそうな御茶で健康にも良さそうですね。^^
乳酒
■馬乳酒(ばにゅうしゅ)とは、馬乳を原料として主にモンゴルで作られ、飲まれているアルコールを含む乳製品である。
モンゴル語ではアイラグ、内蒙古ではツェゲー、テュルク系の言語では馬乳酒も含めた乳酒を総称してクミスと呼ぶ。ラクダの乳から作られる同様のものにインゲニアイラグというものもあり、これと区別する為に馬乳で作ったものを特にグーニイアイラグと呼ぶこともある。但しこれらの呼び分けは地域によって微妙に異なり、絶対的なものではない。

馬乳に含まれる乳糖が酵母によって醗酵することでアルコールが生じ、また同時に乳酸菌による乳糖の乳酸醗酵も進行するため、強い酸味を有する。

■ハルハ方言ではアイラグ、内蒙古ではツェゲーと呼ばれる。馬の乳を攪拌して発酵させて作る。家畜の中で馬の乳は乳糖値がもっとも高く、これを利用して発酵させる。ミルクとビールを混ぜたような味がする。発酵が不十分なものを飲むとお腹をこわすことがあるので注意。なお、カルピスはこの馬乳酒にヒントを得て造られたらしい。

■インドに仏法を修めに行こうとする僧侶、玄奘三蔵が、インドまでの道中の保護を求めて、スイアーブで西突厥の葉護可汗(統葉護可汗)に会見している。葉護可汗は、イステミ=カガンの曾孫である。
葉護可汗に会って、インドまでの旅行の便宜と保護を得るように勧めたのは、高昌王・麹文泰だった。その使者は、玄奘とともに葉護可汗の牙庭を訪れ、麹文泰からの国書と贈り物を献じた。外国の使節を迎えたときの常として、その場も酒宴になったが、玄奘が酒を飲んでいないせいか、どんな酒が振る舞われたのか、詳らかでない。

ただ、玄奘がこの宴で振る舞われた食物の中に酥がある。日本では、乳製品に対する用語に混乱があって、酥を練乳やヨーグルトのように説明してあるものがあるが、どちらかというと、現在のモンゴルで言うウルムのようなものではないだろうか。ウルムは、乳酒の醸造と密接に結びついている。
爵位がきました。
交易LV&名声は本職な為そこそこ有るのですが、海事LVが低く、冒険LV&名声がボロボロ。
ボロボロの冒険LV&名声をナントカしようと地味に冒険していました。
慣れない冒険生活をマターリとしていたらば、爵位がきました。

慣れない冒険はナントナク厳しい道に思えた。ヴェネチア水の都にて少し報われた気持ちの一瞬。
DVD バンダイビジュアル 2006/12/22 ¥3,990
代折羅不動心眼流師範代武術家である犬塚雲軒の一人息子で後継者であるが、とあるトラウマから武術を捨て検事を目指すごく普通の高校生、犬塚孝士の下に西日本の武術家たちの長、波夷羅一伝無双流師範代・九頭竜千太夫のひとり娘で、流派の継承者である九頭竜もも子が押しかけてくる。
もも子の目的は孝士と結婚して最強の子孫を作ることなのだが、その結婚を阻み、犬塚孝士暗殺を達成し、第7次十二神将戦争を起こすべく刺客たちが次々と襲い掛かってくるのだった。
二人の先に待ち受けるものはいったい・・・!?
 
 
テンポも良いしラブコメっぽい所も良いし、とても良い作品だと思います。オープニングの曲からヤラカシテくれます。単純に楽しめます。^^;
引退して行く人
商会員の「虚無」さんが、引退しました。(キャラクターデリート)
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なんて言うか・・・残念です。

「虚無」さんには色々冒険で御世話になったので、本当に感謝しています。
「虚無」さん、ありがとう。

「虚無」さんは他のゲームに旅立つそうです。他のゲームで凄い良いゲーム見つかると良いですね、と思います。
(SSは「虚無」さんDOL最後の場面。商会員でインしてる人で見送りました。)
でも・・・・・・なんとも言えない残念な気分です。(泣)
12月01日付 CNET Japanの報道「1週間のゲームニュースを総まとめ! 11月26日〜12月1日」へのコメント:

なんていうか、ゲームに関してのニュースにも色々動きがあるんですね。^^;
ラ・セーヌの星 「E’toile de la Seine!」
■時はフランス革命の頃、花屋の娘シモーヌ・ロラン(シモーヌ・ド・フォルジュ)は、怪傑「ラ・セーヌの星」として活躍した。しかしシモーヌはマリーアントワネット王女の妹だと云う事実を知らなかった。
と、云う御話。

●詳しく知りたい方は「ウィキペディア」の記事をどうぞ↓(コピペしてウィキに移動してください)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%98%9F

●ストリーミング通信でアニメも見れます↓(12月31日まで)
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00154/v00336/

★見た感想は、勧善懲悪モノ快刀乱麻!怪傑モノとして普通に面白いと云う感じでしょうか。
テンポも良いし(中期)、謎の部分とかもあるし(初期)、また幼馴染のミランがピンチになったりとか・・・死ぬ人と生きる人に差が余り無いので、そこはドキドキできます。
ある意味、「戦う美少女」と云うコンセプトが凄い早くからアニメ業界にあったんだなぁ・・・・と思う作品です。(セーラームーン以降珍しく無くなりましたが・・・)
古い作品だけれど、何時までも良いモノと、言える作品だと思います。
11月29日付 CNET Japanの報道「「SNSよりロイヤリティが高い」--ガンホー、オンラインゲームで広告事業」へのコメント:

ガンホーは、ゲーム中に広告を出稿するサービス、いわゆる「アドバゲーミング」を来年にも開始する。

なんて言うか正直に言って、こういうの引くね。><;
もしも大航海時代オンラインに「アドバゲーミング」が導入されたら1ユーザーを辞めるかもね。
だってですよ、ゲームの世界の中に浸っている(雰囲気を楽しんでいる)時に広告が流れたら如何思いますか?私はゲームの世界観や雰囲気が台無しになると思います!!雰囲気や世界観とか大切だと思うんですけどね。(もしも配慮して、ゲーム関連の宣伝でも、ヤッパリ嫌ですね。)
商魂逞しいというかナント言うかもうね・・・><;
DVD キングレコード 2003/11/27 ¥5,775
TVオンエア終了後、激しく賛否を呼んだ最終回を映画でやり直すという前代未聞の企画で製作され、一大ブームとなったSFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』劇場版。その内容は、テレビ版の総集編を改定した『DEATH(TRUE)2』と、真のラストを描く『AIR/まごころを、君に』の2部構成。前者の構成は、単なるダイジェストではなく、ドラマをドラマをシャッフルさせながら観る者を魅惑の……
 
 
個人的感想だけど・・・
正直に言って「新世紀エヴァンゲリオン」は惜しい作品だと思う。TV版は最高の出来だった。それはもう新世代アニメ・次世代アニメだったのだろうと思う。TV版は素晴らしい出来ばえだった。(TV版は見るの御奨めです。)

TV版は特に15話〜21話までが素晴らしい出来ばえだった。今でもアノ出来を超えるアニメって無いと思う。本当に凄い作品だった。とても面白かったし感動した!!
TV版は素晴らしかったが、映画版は見るに耐えない最悪の出来だった。見ない方が良い位、映画は最悪だった。
なんでコンナ事になったのかはワカラナイが、最高のTV版と最低の映画版と云う不思議な出来に仕上がっている。

つくづく惜しい悲しい作品だと思う。
11月27日付 CNET Japanの報道「ゲームポット 「オンライン」投資育成で新会社設立」へのコメント:

韓国のオンラインゲーム会社は、運営や開発は・・・・・・・・・ですが(泣)、会社の展開や事業拡大には凄い意欲的ですね。日本のオンラインゲーム会社も良い部分は見習うべきなんでしょうね。ガンバレ日本!!

紅茶

2006年11月27日 グルメ コメント (2)
紅茶
■イギリスへはじめて入った頃のお茶
紅茶消費の中心のイギリスにお茶が最初に輸入されたのがいつか、ということですが、これは当時繁栄を誇ったオランダから輸入されました。
オランダ人が日本と中国からそれぞれお茶を買いつけてジャワ島のバンタムからオランダ船に積んで本国に送ったのが1610年頃で、オランダの連合東インド会社のアムステルダムのサロンで使われたようです。
1630年代の中頃から、オランダは近隣諸国のドイツ、フランス、イギリス等へもお茶を売るようになったようです。
つまり、中国からお茶を輸入し、ヨーロッパに広めたのはオランダです。この頃は、オランダの王侯・上流階級の間で飲まれていました。
オランダ人は苦いお茶に高価な砂糖を入れて飲んでいたようです。また、茶碗から受け皿に移して、それを啜っていたといいます。
上流階級の女主人のもてなしとしてお茶は使われていたようです。
又、ミルクを入れる飲み方がはじまったのもこの頃(1655年〜1680年頃)ではないかと言われています。
最初、イギリスでは、オランダで喫茶の経験をしたイギリス貴族が飲んだ程度のようです。
むしろ、フランスへの普及が早かったようです。ただ、これは一部階級にとどまり、すぐに廃れていってしまいます。
1662年国王チャールズ2世のもとへ嫁いできたポルトガル王の娘キャサリン王妃が東洋趣味で、喫茶の風を宮廷にもたらしたことから、茶はイギリス宮廷の飲物となったといわれます。
イギリスでは、1651年の「航海条例」の制定により、イギリスへの茶の輸入は、すべてイギリス国籍の船によってのみ許可されることになり、オランダ海運業の締め出しを図りました。
この翌年からの英蘭戦争をきっかけに、イギリスはオランダから中国貿易の主導権を奪っていきます。

■イギリスでのお茶の普及
1689年オレンジ公ウイリアム3世とメアリー女王の代になり、東インド会社が福建省の厦門と直接の交易をはじめ、イギリスでの東洋趣味が一気に高まり、上流階級の家庭でも中国の急須や茶碗を買い求め、茶を飲むようになっていきます。
18世紀初め、アン女王は大の美食家で、朝食に必ず茶を飲み、宮廷では茶会を楽しみ、一日中何度も茶を飲んだといいます。

当時のお茶は、紅茶ではなく緑茶・烏龍茶です。

1700年に東インド会社が中国からイギリスに運んだ積荷のお茶の内訳は、たとえば、安徽省の下級緑茶300梱と福建省の下級烏龍茶80梱であったりします。 
1720年頃には、女王にあやかって、銀のポットや中国製の陶磁器ののポットを使って、茶を客の目の前で淹れることが上流階級でのステータスシンボルとなり、客人がお茶の席で女主人と会話を楽しむのが社交のエチケットであるとされるようになっていきます。
1720年頃には主として値段の安い粉緑茶が多く輸入され、イギリス人に飲まれており、茶の関税引き下げにより、中国からの輸入量は100万ポンドを超えるまでになりました。
その頃中国茶の輸入の独占権を得た、イギリスの東インド会社の中国茶輸入量は増え続け、1760年には東インド会社の輸入金額の40%を占めるようになります。
このときには、イギリスのお茶の消費量はすでに他のヨーロッパ諸国の全消費量の約3倍に達していました。
18世紀後半には、イギリスにもスタッフォードシャーを中心に窯業がおこり、イギリス独自の陶磁器が大量生産できるようになります。

■南洋航海中に紅茶ができた?
有名な俗説があります。
「中国からイギリスにお茶がインド洋を通って船で運ばれていく途中に、赤道を通過してくるため、湿度と温度が高くなり、発酵して紅茶になり、そのブラックティーはロンドンで歓迎された。これが紅茶のはじまり云々。」
これは間違いです。
当時も緑茶は製造初期段階で釜炒りによって酸化酵素を完全に失活した状態にしており、船で赤道を越えるくらいで変質するのはありえないことでした。緑茶と紅茶の違いは茶葉摘採直後の製造法で決定されるものです。

■紅茶のはじまり
それでは、紅茶はどのようにして生まれたのでしょうか。
福建省武夷山の烏龍茶を進化させて、安徽省の祁門で紅茶が生まれたようです。

一説には、1784年に余干臣が宦官をやめて商人になり福建省から安徽省にやってきて、福建省の発酵茶「工夫茶」にならって東至県に工場を設立し、工夫茶にならって茶の製造を始めた。次の年には、祁門県(祁の偏は[示]です)に二ヶ所の製茶工場を設立して「祁門紅茶」を造りこれを拡大していった、といいます。
また一説には、1786年に祁門の南の貴渓の胡元竜が日順茶工場を開設して、烏龍茶を改良して「祁門紅茶」を完成させた、といいます。

■イギリスに受け入れられた工夫紅茶
初期にイギリスにもたらされていた武夷の烏龍茶は、最下級のもので、高級茶用に摘み取ったあとの三番茶を輸出用に広東まで運んで略式の製茶工場で製茶したもので、品質の悪い安価な大衆向けの輸出品でした。
このため、最初は粉緑茶がイギリスでの喫茶の中心でした。
しかし、東インド会社の独占の裏で密輸業者が大量に輩出し、また、茶業者では輸入した緑茶に茶以外の植物や不純物を混ぜることが流行し、緑茶も決して質の良いものとは言えなくなっていました。
また、肉類主体の食生活には、烏龍茶の方が口の中の油脂分をさっぱりと流してくれるということも知られ、烏龍茶や烏龍茶の中でも発酵度合いの強いものにイギリスでの需要が向いていった頃でした。
もともと祁門は品質の良い緑茶の生産地ですが、祁門で生まれた質の良い工夫紅茶は、高値で取引され、イギリスでこの酸化発酵の度合いの強い工夫紅茶はすぐに広まりました。
紅茶の前身となった福建省の武夷茶が日乾式だったのに対し、祁門紅茶は焙製(籠に入れて炭火で熱して乾燥させる)になるなど、イギリスへの輸出をにらんで生産法を進歩させたものでした。
なお、「工夫(コングー)」とは、手間隙かけているという意味です。

ヘビ酒

2006年11月26日 グルメ
ヘビ酒
■世界長寿地方のひとつに数えられている沖縄で数百年の昔から、滋養、強精酒として受け継がれてきているものにハブ酒があります。ハブはマムシの数10倍もの猛毒をもち、牛や馬をも倒す強烈なものです。それ故に、その毒を心配なさる方もいますが、アルコールの中に入れることで無毒化し10数種のアミノ酸となり、これがいろいろな効能の源となります

★これも動物系リキュールですね。沖縄には度数の高い泡盛にハブ(蛇)を漬け込んだハブ酒があります。ハブはその度数の高い酒の中でも3日は生きてると言われています。それだけ生命力が強いという事ですね。
日本ではマムシの内臓等を取り除いた物を、度数の高い御酒に漬け込むマムシ酒が有名ですね。
 
 
■マムシ Agkistrodon halys Palls 又はその他同属動物の皮及び内臓を取り除き精製したもの。他の蛇類が卵生なのに対し、卵胎生であるのが特徴です。
●ハンピの効果と効能 (マムシ=ハンビ)
ハンピは、古くから強壮強精、新陳代謝の良薬として知られていました。漢方では強壮・解毒作用を期待して、酒に漬けて、全身の衰弱や内臓機能の衰え・できもの・しびれ・脳卒中後の麻痺・痔疾などに用います。
民間療法では黒焼きやマムシ酒にして、疲労回復や冷え性などに用いられています。最近の研究ではハンピの有効成分に、強心作用、血球数および血色素を増加させる作用があることがわかっています。
明治以降、マムシを滋養強壮剤として用いることが多くなりました。現在でも多くの滋養強壮ドリンク剤に、ハンピチンキとして配合されています。
薬酒でハンピを服用すると、ハンピ内のアミノ酸などの様々な有効成分が、アルコールによって効率よく抽出され、吸収されやすくなる利点があります。
ハンビは体の血行を良くする働きが有ります。良くある一般的な薬用酒にも良く使われてる材料です。
●ハンピこぼれ話
南北朝時代の武将・楠正成が軍人の心得として、「五八霜(マムシの粉末のこと)を馬に食べさせると、大変元気がついて、10日20日は餌を食わさなくても大丈夫だ」と語った一節があります。競馬の前に馬にマムシを与えると、馬力が出て良く走るという話もあるようです。
マムシの黒焼きに、鹿角(鹿のツノ)と津蟹(モクズガニ)の黒焼きを混ぜたものが、伯州散(はくしゅうさん)という薬です。島根県で創製された「伯耆の黒グスリ」とも呼ばれる家伝薬で、悪性のはれもの・化膿性の病気・慢性のおできに効く良薬として伝えられています。

★大航海時代オンラインにも「ヘビ酒」として回復力の高いお酒として登場してきますが、手元の資料等だと大航海時代に「ヘビ酒」がアフリカ等に在ったのかは不明です。(まあ・・・ゲームなんで深く考えないのが良いのかも ;;;^^)
ユーザーイベントの「大西洋横断ウルトラクイズ」に参加してみた。
ユーザーイベントの「大西洋横断ウルトラクイズ」に参加してみました。
結果は、セビリア教会で脱落(一番最初のOXクイズ)でした。^^;;;
でも、皆でワイワイ出来て楽しかったです。(クイズは結構難しかったです。)
今日はその後、ラジオのウルトラクイズの実況を少し聞いて、少し冒険して少し交易して、放置露天落ちしました。(ウルトラクイズは深夜遅くまでやってたので、途中で聞くの断念して寝ました。)
やっぱりユーザーイベントは関係者の方々の大変な努力に支えられてるのだなぁ・・・・とか思いました。
秋の収穫祭・グルメ探訪ツアー
2006年11月23日〜12月6日まで秋の公式ライブ・イベント「収穫祭・グルメ探訪ツアー」です。

公式HPの説明↓
http://www.gamecity.ne.jp/dol/live_event/061117.htm

様々な料理が貰えたり、レースがあったりします。
ゲーム中の料理見ていると、リアルでも何か食べたくなっちゃいます。^^;

レースの初日参加しました。凄い人でCGの表示も大変でした。しかも全部の鯖共通のレースで、一番早くゴールした鯖には特典が有ると云うので皆さん頑張りました。結果的には、能登鯖は3位でZ鯖が1位でした。
個人的には普段食べない料理とか見れたので面白いと感じました。後、レースも良い感じに進行したと思います。(E鯖の一部の方々が難民になってしまったと言う悲劇も在りました。サーバー管理は大切だと思いますね、残念です。)
皆、1位目指して頑張る!その姿が良かったと思うし、楽しくレースできたし、それなりに盛り上がったと思うので良かったと思いました。
12月6日にChapter2「Angkor」アップの予定だそうです!
いよいよ12月6日には、Chapter2「Angkor(アンコール)」が登場しますね。公式HPに載りました!!

公式の説明↓
http://www.gamecity.ne.jp/dol/lafrontera/angkor.htm

アパルトメントに家具の配置や、新海域の追加などDOLやってる人には嬉しい事ですね。
今からワクワクしています。^^
11月22日付 INTERNET Watchの報道「国内オンラインゲーム市場規模は1年で約35%増加、矢野経済研究所が調査」へのコメント:

やっぱりオンラインゲームの市場は広がりつつあるんですね。オフゲーにはオフゲーの良さが有りますけど、
やっぱりオンラインゲームの良さは皆と色々出来る事だと思います。
ユーザーイベント&公式イベントにしてもそうですが、こういう可能性の在る所がとても凄い所だと思います。
これからはオンラインゲームの時代なんですかねぇ・・・・・。

只、記事にも有る「アイテム課金型」の方式は、ガチャゲー以外が良いですね。ガチャゲーは運で全て決まるので面白くないです。><;
バルバリア海賊紋章
「レパントの海戦」公式イベントで景品になった「バルバリア海賊紋章」です。細かくて綺麗な紋章ですね。
■ とある神話
所は中国、時ははるか昔の事である。体は人間で牛の頭を持つ神農という神がいた。
神農のお腹は水晶でできており、食べた物の様子がよく分かるので毒でも草でも食べて人間に食べられるかどうかを教えていたという。
ある日、彼は偶然お茶の葉を見つけた。
毒を食べた後にお茶の葉を食べると、腹の中が浄化されることを発見した神農は、以後毒を食べるたびにお茶の葉を食べて腹を清めていたという。

●時は昔の事である。一人の皇帝が狩に森に出かけたという。狩に疲れた彼は、お湯を飲もうと、従者に釜を使い水を沸かせていた。
しかし、場所は森のことである。ある葉っぱがひらひらと釜の中に入ってしまった。皇帝が怒るのを恐れた従者は、もう一度水を沸かそうとした。
しかし、のどが渇いていた皇帝は気にせずその湯を飲んでしまった。
意外にも、お湯よりもおいしい。
以後、皇帝はその葉っぱをお湯に入れて飲むようになったという。

 
■ お茶の始まり
●お茶に関わる神話は現在までたくさん残されています。しかし、実際のところ、お茶の始まりはまったく分かっていません。
一体誰がお茶を発見し、どのような目的でお茶を飲みはじめたのか・・・、今となっては想像するほか無いのです。
昔には野生の大型の樹からとられていたものが、徐々に栽培用に小型化して現在のように茶畑で栽培されるようになりました。

●お茶の原産地はインド北部から中国南部にかけての熱帯・亜熱帯地方であると考えられています。
唐の時代(西暦800年頃)、かの有名な陸羽が書いた『茶経』は「茶者、南方之嘉木也」(「茶は南方の嘉木なり」)で始まっており、
初期のお茶は南方で始まったと考えるのが定説です。特に雲南一体辺りではないかと考えている人が多いようです。
雲南には変わったお茶の飲み方が多くあり、それらは昔の飲み方がそのまま残っているのではないかと考えられています。
例えば、茶樹からつんできたばかりの茶葉を囲炉裏でいぶり、釜でお湯と一緒に煮るだけの飲み方などはごく初期の飲み方を彷彿とさせます。

●漢の時代(紀元前1世紀)に書かれた医学書『神農本草記』には「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」などという記述が残されており、
すでにこの頃にはお茶の薬としての効能が知られていたという事になります。
また三国志で有名な後漢の名医華佗もお茶の効能について『食経』という本でふれています。
この頃のお茶は、上流階級の薬用として主に用いられていました。

●その後間もなく、お茶は薬用よりも嗜好品として主に上流階級の人々に愛飲されるようになりました。
三国時代のある文献には「以茶代酒」(お茶を酒にみたてて飲む)という記述が残されているようです。
 
 
■ 唐時代
●唐の時代にはお茶の飲む習慣はすでに全国に広まっていました。
この頃のお茶は、茶葉を粉々にし固形にし乾燥させた緊圧茶が主流でした。
茶葉はすでに全国で栽培されるようになっていたようですが、交通が不便なこの時代に栽培地から消費地(上流階級の家)まで運ぶには、緊圧茶が合理的だったのだろうと想像します。
なおこの頃にはこのような固形の緊圧茶を「餅茶」と呼んでいました。
●租庸調制度が崩壊した時、政府は不足する税収をまかなうために塩・酒・茶が専売とされ原価の30倍以上の税がかけられましたが、このころすでにお茶を飲む風習が広がっていたことがしのばれます。
●この頃には茶具が発達し、唐代の茶器は台湾、台北市の故宮博物館に現存しています。
●そして何よりも唐代の功績はお茶のバイブルとも言える陸羽の『茶経』が書かれたことです。
お茶の効能や製法だけに止まらず、飲み方や茶器にまでふれ、後の中国茶の発展に大きな貢献をしました。
もちろん、後の日本茶道にも大きな影響を与えています。
 
 
■ 宋時代
●宋の時代には、それまでの貴族文化にとって代わり、貨幣経済を背景とした市民文化が栄えました。
お茶が貴族から富裕市民のものへと変遷していく中でお茶の飲み方も変わっていきました。

●お茶もそれまでの緊圧茶を使用し、茶葉をすってこなごなにした粉末を、茶碗に入れてお茶とかき混ぜるという日本でいう抹茶のような飲み方がされるようになってきました。
この頃には茶筅(ちゃせん)が使われていたということです。
なお、「餅茶」の呼び方が変わって「団茶」と呼ばれていたようです。

 
■ 元時代
●元は北方の騎馬民族であるモンゴル族が開いた王朝であり、かさばる茶葉の形よりも緊圧茶が発展した時代です。
この時代はシルクロードを通して西方の技術が取り入れられた時代でもあり、西アジアからコバルトを輸入して景徳鎮で焼くなどの手法が可能となり、青磁器技術が大いに発展した時代でもあります。
 

■ 明時代
●この時代に緊圧茶はお茶本来の美味しさを損ない、しかも手間もかかると言う事で、皇帝により緊圧茶禁止令が出され、
また貢茶(皇帝に茶を献上する事)も廃止されました。
そもそも固形に固めるという面倒くさい工程を必要とする緊圧茶がお茶の始まりではありえるはずもなく、
昔は茶葉のままで飲まれていたと考えるのが普通であり、元々の姿に戻ったとも言える。

●安定した明の体制に支えられ、貴族と富裕市民に限られていた喫茶の習慣が、都市市民へと普及していきます。
淅江省や江蘇省がお茶の産地として知られるようになり、龍井茶などが有名となりました。

●緊圧茶が禁止され、緑茶が普及すると、お茶の色が薄くなり、お茶の色を引き立たせるために青花等の茶碗が珍重されるようになり、それと同時に茶壷(急須)にも手の込んだ物が出現し、普及していきました。
トカゲ酒
広西の薬草地帯に生息し、桂林の薬草だけを食べるというトカゲを桂林三花酒に一匹漬け込んだ酒。落ち着いた深みのある香りは心を爽快にするだけではなく、女性の美容、滋養と健康、病後の体力低下に効果があるとされています。
アルコール 35度
製造 広西壮族自治区梧州

中国の「ハーカイチュウ」はトカゲ酒です。

あまり資料がないのでなんとも言えませんが、蒸留酒にトカゲを入れてリキュール(動物系)にしたものと考えるのが妥当だと思います。
地味に冒険頑張っています。^^;
フラグの財宝を見つけました。地味に冒険を頑張っている最中です。^^;

< 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 >

 

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