エスト!エスト!!エスト!!!「Est!Est!!Est!!」
■中部地域のイタリア・ワイン
高級ワインのブルネロやスーペルトスカーナ、庶民的イタリアワインの代表キャンティなどを生産するトスカーナ州に代表される中部地域もまた、北部と同様に多くのスター選手を抱えています。

Super VdTを生み出したトスカーナ州は新しいイタリアワインの発信地でもあり、その勢いは今でも衰えるこなく、積極的な外来種の採用を行ってみたり、イタリア種のサンジョベーゼの高品質化を計ったりと、さまざまな試みが行われており、新しいイタリアワインの形が次々と登場し、いっそう世界からの注目を浴びています。
特にブルネッロ・ディ・モンタルチーノやスーペルトスカーナは世界マーケットにおいても高価格で取引されていますし、その価格も年々高くなってきています。

トスカーナ以外にもウンブリア州では、二種類のDOCGワインや庶民的な白ワインであるオルビエート・クラッシコが生産されていたり、マルケ州においてもDOCGワインこそなくても良質のDOCや価格的にも内容的にもSuper VdTと位置付けられるようなワインが生産されていたりと、よいワインが近年生産されています。

また、首都ローマを有するラツォオ州の庶民的白ワインEst!Est!!Est!!!なども有名ですね。
中部地域のワインの特徴は、芳醇な、自然な、洗練された、深みある、印象があるワインが多い感じがします。

●「Est!Est!!Est!!」
イタリアのローマ郊外のモンテフィアスコーネで作られているワイン。
語源には諸説有るが、
ドイツのワイン好きのアウグスブルグ大僧正がローマ法王を訪問することになり、先にローマに下る従者に道中に美味しいワインを置いている宿をみつけたら扉に「エスト(ラテン語であると言う意味)」と書いておけと命じた。
従者がモンテフィアスコーネに来たときに飲んだワインがあまりにも美味しくて、エストを三個も書いたという。
北部イタリア・ワイン
北部地域
イタリアワインの雄バローロや代表的白のガヴィやスプマンテのアスティなどを生産するピエモンテ州、こちらも代表的白のソアーベや伝統的製法で知られるアマローネなどを生産するヴェネトなど、北部では数々のスター選手を有しています。
特にピエモンテのバローロやバルバレスコは、世界のワインマーケットでも高い評価を獲得しており、イタリアワインの中にあってもとても高価で取引されています。

高価なワインだけではなく、ピエモンテ州のバルベラ・ダルバなどのバルベラ種を使ったワインやヴェネト州のヴァルポリチェッラやロンバルディア州のフランチャコルタなどの、品質が高く比較的お手頃なワインも数多くあります。

また隠れた北部の良質のワインの産地としてトレンティーノ=アルト・アディジェをあげることができます。
ラベルにはドイツ語による表記がなされていて、いったいここはどこの国?と思いたくなる地域ですが、ワインに関してもあまりイタリアっぽくないようなワインを生産しています。カベルネ、メルローといった外来種を使って安価で高品質のワインを生産しています。かなりお買い得感があるワインが多いです。

北部地域ののワインの特徴としては、全体的に洗練された、繊細な、上品な、印象の強いワインが多い感じがします。
トスカーナワイン
■トスカーナと言えばワインである。日本ではキャンティが特に有名で、ワラにくるまれた瓶のキャンティは誰もが目にしたことがあるはずだ。
藁苞(わらづと)キャンティはイタリアワインが話題にもならなかった昔から輸入され、イタリアワインの代名詞となってきた。

■ワイン愛好家の憧れの地、赤ワインの宝庫トスカーナ。
花の都フィレンツェを中心とするイタリア中部・トスカーナ地方。どこまでも続く斜面大地を利用したブドウ畑が、芸術や食文化で世界的な質の高さを誇るこの地方は、ワイン造りも「量より質」で定評があります。
トスカーナで最も有名なワインは「キャンティ」。

日本でもおなじみの、名実ともにイタリアを代表するワインですが、その歴史は古く、8世紀の文献にも登場するほどです。
また、最近、テーブルワインに分類されるものの中に、「スーパートスカーナ」と呼ばれる高品質のワインが登場し、ファンの注目を集めています。

■城壁に囲まれたトスカーナの美しい田舎町、自然に恵まれた土地で、指折りの赤ワインを生み出す「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の生まれ故郷
トスカーナの古都シエナからバスに揺られて小一時間。小高い丘の上にある人口はわずか五千人ほどの小さな村モンタルチーノ。
どこまでも続く緩やかな丘陵。周囲に広がる緩斜面を利用したブドウ畑が、トスカーナ特有の美しい景観を生み出しています。
この辺りは、高品質のワイン造りに大変恵まれた土地で、イタリア大統領主催の晩餐会などでも愛飲される指折りの赤ワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の生まれ故郷です。
村のある丘の上には、9世紀に立てられたバンフィ城が静かな佇まいを残し、村の周りを城壁が囲んでいます。
城の中には、ブルネッロをはじめ、モンタルチーノのワイン、グラッパ、オリーブオイルなどを売るエノテカ(酒屋)もあります。
世界一美しい広場といわれるカンポ広場や起伏の多い村の通りには、地元の小さな商店や大小11もある教会などがポツリポツリ。
中世の建物と狭い路地の隙間から覗かせるトスカーナの田舎風景は、都市では味わえない至福のひと時を与えてくれます。

■DOCGとDOC
 先ずは、ちょっとその呼び名も似ているDOCGとDOCについて触れていきます。
DOCGは「Denominazione di Origine Controllata e Garantita」の、DOCは「Denominazione di Origine Controllata」の頭文字をとったもので、それぞれ「統制保証原産地呼称」と「統制原産地呼称」と日本語には訳されています。

■イタリアワインの代名詞「キャンティ」
フィレンツェとシエナを結ぶ国道222号線は別名「キャンティー街道」と呼ばれています。この辺りはDOC、DOCGワインの多くの生産量を誇るキャンティの郷。
糸杉の木立が続く緩やかな丘陵一面にブドウ畑が延々と広がっています。
キャンティの生産地区は、フィレンツェ、アレッツォ、ピサ、ピストイア、シエナの5ケ所。この一帯では良質のサンジョヴェーゼ種が生産されています。
ルビーのような輝きをもつキャンティは、濃厚で個性的なワイン香を放ちながら、タンニンと酸のバランスがよく、肉料理だけでなくあらゆる料理におすすめです。
またキャンティ地区中心部で生産されるクラシコは、サンジョヴェーゼ種の比率が高く2年以上熟成された高級品。
さらに3年以上熟成される「リゼルヴァ」があります。
 
 
■トスカーナ・ワインの歴史
●キャンティ
    古くは8世紀頃の文献に登場する
    1716年 キャンティの地域が定められる(トスカーナ大公)
    1872年 リカゾリ男爵がキャンティのぶどう品種構成を決める
             サンジョヴェーゼ、カナイオーロ・ネーロ、マルヴァジーア(白)
    1963年 キャンティがDOCに。この時、白ぶどうの比率が最大30%まで認められる
    1984年 キャンティがDOCGに。
    1996年 キャンティ・クラッシコがキャンティから独立
キャンティの地域分類
    キャンティ・クラッシコ
    キャンティ・ルフィーノ
    キャンティ・コッリ・セネージ       など
ぶどう品種
  サンジョヴェーゼ主体、カナイオーロネーロ、外来品種(カベルネ・ソーヴィニョン、メルローなどの場合もある)
    ※2006年から白ぶどう(トレッビアーノ、マルヴァジーアは禁止)

●ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ 西暦1300年ごろからの歴史あるワイン
ぶどう品種
  プルニョーロ・ジェンティーレ(サンジョヴェーゼ)70%、カナイオーロ・ネーロ
  トスカーナの中世の町、モンテプルチアーノの周辺10km、標高650m
ワインの特徴
  濃いルビー色、熟成につれてガーネット色、濃密な香り。丸みのあるタンニン、キレの良い辛口、バランスのとれた味、長い余韻


■キャンティ(Chianti)はイタリアトスカーナ州の一地方であるが、その名前を有名にしたものは同名のワインである。
軽めの赤ワインで、肉料理などと相性が良い。 ブドウ品種はサンジョヴェーゼを主体に、カナイオーロ・ネーロやマルヴァージア、トレッビアーノを混醸することが可能である。 伝統的な藁苞の瓶も有名であるが、今では少数派となっている。

キャンティと言えば大量生産のおかげで安く低品質という印象がぬぐい切れていないが1994年には品質が向上しDOCGの認定を受けている。また、伝統的にキャンティワインを作りつづけてきた地域は、黒い鶏の紋章を付けたキャンティ・クラッシコという名で区別する。こちらは1996年に別のDOCGとして認定されている。
トルコ式コーヒー
■チャイと並んで有名なのがトルココーヒー。どろっとしたコーヒーで、上澄みだけを飲みます

■カフヴェKahve
極細に挽いたコーヒー豆の粉を水と一緒に沸かして作るコーヒー。
苦くてどろどろだけれど、よく煎った(ダブルロースト)豆が使われるので、意外にもカフェインはフィルターコーヒーの半分なのだそうだ。

ジェズヴェと呼ばれるコーヒー沸かし器に、ティースプーン1杯の極細の豆とデミタスカップ1杯分の水と好みの量の砂糖を入れ、弱火にかける。
まもなく泡が立ってくるので溢れそうになったらカップに移す。粉が沈むのを待ってから飲む。最後まで飲み干さない。

●コーヒー豆の故郷はエチオピア。そこからアラブ商人たちの手によってイエメンをはじめアラビア半島諸国にもたらされた。
オスマン帝国がエジプト、イエメン、アラビア半島の一部を手中に収めた16世紀初頭に、イスタンブールおよびアナトリアに広まった。
現在トルコで飲まれているコーヒーの豆はイエメンコーヒー(コーヒー・アラビカ)と呼ばれるが、イエメンからではなくブラジルから輸入されている。

●イスタンブール最古のカフェは1554年にタフタカレ地区に開かれたが、もちろん現在は跡形もない。

★濃厚な感じのドロッとしたコーヒーです。感じはエスプレッソをもっと濃くした感じかな。飲み終わった後のコーヒーの粉の残りの模様で、コーヒー占いとか外国では有るそうです。

★大航海時代オンラインのゲームに出てくる「アラビアンコーヒー」の一種が、このトルココーヒーです。
チャイ
★「チャイ」という飲み物。これは紅茶のことです。トルコの国民的飲料だそうで、小さな独特のグラスで飲みます。
チャイを飲みながら、のんびりお喋りする茶店(喫茶店)がチャイハネです。

★チャイCay
日常生活のさまざまな場面でトルコ人がぜったい手放せない飲み物。二段式のやかん(サモワール)で沸かす作り方、
ふちまでなみなみと入っているので熱くて持てないチューリップ型の小さなグラス、添えられたかわいいスプーン、
出前を頼むと取っ手のついたトレイにたくさんチャイを載せて運んでくれるチャイ屋さん、チャイに関わるすべてのものがトルコらしくて美しい。

トルコ人の生活になくてはならない飲み物だけれど、その歴史は意外に浅く、1878年にもたらされた(日本からとの説もある)種の試験栽培がトルコにおける茶の栽培の始めだと言われている。
お茶が組織的に栽培されるようになったのは1918年のことで、リゼとアルトヴィンで始まった。現在もこの地は茶の産地として名高い。
現在、茶葉は東黒海地方一帯で盛んに栽培されている。海沿いの多雨で湿潤な気候、山がちな地形は茶葉栽培に向いており、
景観もどことなく静岡など日本のお茶畑を髣髴とさせる。

チャイがチャイ以外で登場することはきわめて稀。
紅茶ゼリーや紅茶ケーキなど紅茶を使ったお菓子などは存在しないし、数年前まではアイスティーも存在しなかった。
チャイを冷たくして飲むなどトルコ人には考えられないことなのだ。
いまは「アイスティー」という商品名のドリンクはあるが、それは缶入りの甘ったるいドリンクなので、レストランや喫茶店のメニューで見つけてもご用心。
高級ホテルのラウンジなどでは「冷たい紅茶」がメニューにあることもある。
こちらはアイスティーとは言わず、「ブズル・チャイ(氷入り紅茶)」とトルコ語名がついている。

★チャイ
インドの煮出し式ミルクティー「チャイ」。たっぷりのミルクとコクのある茶葉で、トロりと甘いあったかチャイが愉しめます。

チャイ用スパイス。
シナモン, カルダモン, クローブ, ジンジャー, ブラックペッパー
500mlのチャイに対して約1g(ティースプーンすりきり一杯)

■チャイの歴史
紅茶はヨーロッパだけではなく陸路を経て、東南アジアやシベリア地方からポーランドまで各地に広く伝わり、人から人へ、村から村へと様々な民族の生活や風習に取り入れられ、その土地に根付いていった。
そこにはイギリスとは違う茶の文化があった。

その一つにチャイと呼ばれるものがある。
その作り方は、『茶は飲むもの』という多くの日本人の既知の概念に沿うものだけではなく、
タイ北部の人々のような、ナッツやしょうが、肉なども一緒に入れて煮込む『食べる茶』というものでもあった。
食べることが目的でなくともチベットでは、チャイをベースに塩、バターなどを加えて飲んだ。
それは、ヨーロッパのように嗜好品的な扱いをする茶とは異なり、日々の生活の中で身を守り、栄養補給を目的とした必需品としての茶である。
(ある意味、お茶漬けなどの海外版と言えるかも・・・)

シルクロード沿いの遊牧民の間で広まっていった茶の文化は、マナーだのこだわりだのを越えた、生きるための飲み物であり、
ハーブやスパイス、ミルクに酒と、自由に組み合わされ、その味が受け継がれてきた。

●お茶としての歴史

・中国
唐の時代に盛んになり陸羽(? - 804年)の書いた『茶経』(最古の茶の書籍)が著された。
北宋の時代に栄えたとされ、ワインのように茶を試飲して産地や銘柄を当てる茶会の闘茶が開催された。
また、国内においては専売を布き、国外においては大量の輸出を行って北宋以後の王朝の財政収入に貢献したとされる。
主に緑茶が飲まれた地域が多かったがウーロン茶などの半醗酵茶が飲用された地域もあった。

・日本
いつ茶が日本に伝わったのかははっきりしていない。
茶は薬用として禅宗の修行に用いられていることから僧侶が関わっているとみられる。
かつては栄西によってもたらされたのが最初と考えられていたが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強い。
ただし古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられる。

茶の栽培は栄西が中国から茶の苗木を持ち帰ったのが最初で、そこから日本に喫茶の習慣を広めたとされている。
当初は薬としての用法が主であったが、栽培が普及すると共に嗜好品として飲まれるようになった。
一時は中国のように闘茶が行われることもあったが、次第に場の華やかさより主人と客の精神的交流を重視した独自の茶の湯へと発展した。
当初は武士など支配階級で行われた茶の湯だが、江戸時代に入ると庶民にも広がりをみせるようになる。
煎茶が広く飲まれるようになったのもこの時期である。
茶の湯は明治時代に茶道と改称され、ついには女性の礼儀作法の嗜みとなるまでに一般化した。

・ヨーロッパ
ヨーロッパに茶が伝わったのは16〜17世紀。18世紀には紅茶が広く愛用され、イギリスでは午後の喫茶の習慣が起こった。
初期には熱すぎて飲めないということでソーサーでさまして飲むという習慣ができた。
またイギリスから植民地のアメリカに輸出された紅茶には高い植民地税が課せられており、
これを不満とする市民が起こしたボストン茶会事件が原因でアメリカ独立戦争がおきアメリカ合衆国誕生のきっかけとなった。

●植物としての茶(チャノキ)
チャノキとは、ツバキ目ツバキ科ツバキ属の常緑樹である。単に茶(ちゃ)と言うこともある(茗(めい)と書くこともある)。
原産地は中国南部とされているが確かなことはわかっていない。
中国や日本で栽培されている1m前後の低木(学名: Camellia sinensis)と、
インド・スリランカなどで栽培されている8〜15mにも達する高木(アッサムチャ。学名: C. sinensis var. assamica)の二種類がある。
樹皮は滑らかで幹の内部は堅い。
日本産のものと中国産のものは植物学上同一種として扱われているが、花卉の形状などに明らかな違いが認められる。

日本では、栽培される以外に、山林で見かけることも多い。
古くから栽培されているため、逸出している例が多く、山里の人家周辺では、自然林にも多少は入り込んでいる例がある。
また、人家が見られないのにチャノキがあった場合、かつてそこに集落があった可能性がある。

▼各国語における茶を意味する単語
世界で’茶’を意味する語の発音を分類すれば、チャ系統のものとテー系統のものがある。
「チャ」は主に「陸路で伝わった」が、大航海時代以降の伝播では中国語のうち、広東語での呼び名であるチャ (ch’a) に由来するものと、
福建省厦門(アモイ)地方の方言(ミン南語)での呼び名のテー (teiまたはte) に由来すると考えられる。
ポルトガルが広東省のマカオから茶を運んだため、ポルトガル語でも「チャ」の発音が見られる。
また、オランダがアモイから茶を運んだため、オランダから茶を輸入した国では「テ」の発音が定着し、「テは海路で伝わった」と言われる。
’茶’を意味する単語をもつ言語でこの両者の系統に属さないものは極めて珍しい。

日本語の茶の字音は呉音「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」である。
「チャ」という音は院政時代の『色葉字類抄』から見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられる。
また朝鮮語漢字音も「タ」と「チャ」があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いる。
リキュールの語源
中世になり、錬金術師たちが「蒸留酒作り」を発見し、この時代蒸留酒の事を、「Aqua Vitae(アクア・ビテ:ラテン語で「生命の水」)」と呼んで生命維持の為の薬酒として用いられていました。

その蒸留酒にさらに各種の薬草成分を溶かし込めば"生命の水"をしのぐ薬用効果を持った酒が生まれるだろうと考えられました。

「溶け込ませる・Liquefacere(リケファセレ:ラテン語で「溶け込ませる」)が、フランス風に訛ったものがリキュールの語源といわれています。
10.20 能登鯖での、レパント・イベント!
SSでもワカリマスが凄い参加者の数です。GMさまの挨拶に続き、細かく演出が入ってて良かったです。雰囲気を盛り上げる感じで。^^
シラクサとチュニスの(ベンガジも)方面でのオスマン帝国VSキリスト教連合軍(他の国全部)の戦いでした。

感想としては、
このゲーム大航海時代オンラインは、ユーザー皆が共同して共通の巨大な敵を倒すと云うイベントが、大海戦以外は無い(大海戦も今や、御祭り風味と言う声や・・・国と国の利害衝突もあるので、巨大なNPCの共通の敵を皆で倒すという意味では存在しないとも言える)ので
皆(ユーザー)で結束して、巨大なオスマン帝国と地中海の覇権を賭けて戦う、というイベントは良いイベントだと思いました。
こう皆で協力して戦っているって感じが、とても良かったです。^^
レパント・イベントにて、GMさま降臨!!
レパント・イベントでGMさまが降臨して来ました。その時のSSです。
ESC処理してGMさまだけ写しています。
このイベントには凄い数の参加者がいました。皆さん凄く盛り上がったようで良かったと思いました。私も参加しましてて楽しかったです。^^

レパントの海戦

2006年10月19日 ゲーム
レパントの海戦
■レパントの海戦は、1571年10月7日に起きた、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍との海戦である。
ヨーロッパ連合側には、ジェノヴァやイタリアの諸国家、マルタ騎士団も加わっていた。
ヨーロッパの連合艦隊は約300隻からなり、有能な指揮官オーストリア公ドン・ファン・デ・アウストリアによって指揮されていた。
オスマン帝国側は、アリ・パシャに率いられた約300隻であった。

■ドン・ジョンを総司令官とするカトリック連合艦隊  対 アリ・パシャを司令官とするオスマントルコ艦隊、の戦い。

■戦闘配置
カトリック連合艦隊(スペイン、ベネチア、ローマ法皇の各艦隊、総計317隻、兵員8万4千名)は3つの戦術部隊に分けられました。
中央部隊はドン・ジョン自らが率いるガレー船64隻からなり、右翼部隊はドリア指揮のガレー船54隻、左翼部隊はバルバリゴ指揮のガレー船54隻で構成されていました。
前衛としてはコルドナ指揮のガレー船8隻、後衛としてサンタ・クルズ候指揮のガレー船30隻があてられました。
ガレー船以外にも巨大なガレアス船6隻やガレオン船26隻の他、フリーゲートやブリガンティン船76隻も配備されました。

オスマントルコ艦隊(242隻、兵員8万8千名)は中央部隊が司令官アリ・パシャ指揮のガレー船95隻、左翼部隊がウルチ指揮のガレー船93隻、右翼部隊がシロッコ指揮のガレー船54隻で構成されており、後衛に若干の予備艦隊が置かれていました。

両軍とも大多数をガレー船が占めており、ガレー船を主力として用いた海戦としては最後のものとなった。


■戦闘経過
1.午前9時半頃、両軍の艦隊は互いに正面から接近して行きます。
オスマントルコ艦隊の司令官アリ・パシャは敵の超大型ガレアス船の登場に驚き、一瞬ためらいながらも全艦隊に突撃を命じました。
午前10時半頃、戦闘が始まります。オスマントルコ右翼のシロッコ隊が、 カトリック連合艦隊ガレアス船の猛砲撃を受けて混乱状態に陥りました。
シロッコ隊の最右翼は海岸に押しやられてしまいますが、海岸に沿って巧みに航行し、カトリック連合艦隊バルバリゴ隊の左側面に回り込もうとします。
これに気づいたバルバリゴはシロッコ隊左翼に攻め込んだため、シロッコ隊は混乱の極に達しました。
戦闘の最中、バルバリゴは敵の矢に眼を射られて瀕死の重傷を負い、次いで指揮を取ったマルコ・コンタリニもすぐに戦死してしまいます。
このようにカトリック連合艦隊バルバリゴ隊は大きな損害を出したにもかかわらず、オスマントルコ艦隊シロッコ隊を壊滅させることに成功し、1隻の敵船も逃がしませんでした。

2.中央隊同士の戦闘は30分遅れで始まります。
まずカトリック連合艦隊のガレアス船2隻の猛砲撃が、オスマントルコ艦隊の司令官アリ・パシャの乗艦を襲いました。
アリ・パシャ隊は敵の砲撃を受けながらも敵船に突進、両軍の旗艦は接舷して互いに斬り込み隊を投入し合い、他の船も増援の兵を送り込みます。
午後1時半頃、ローマ法皇艦隊の指揮官コロンナが自艦をアリ・パシャの旗艦に横付けして、小銃で敵艦の甲板を掃射しました。
続けてすぐに3度目の斬り込み隊が送り込まれます。
この時にアリ・パシャは額に弾丸を受けて倒れ、突入してきた斬り込み隊員に捕えられてしまいました。
こうしてオスマントルコ艦隊の旗艦は捕獲され、司令官のアリ・パシャはその場で斬首されたのです。
この時点でオスマントルコ艦隊中央隊はすべて潰走してしまいました。

3.カトリック連合艦隊右翼のドリア隊は敵艦隊に包囲されることを恐れて南に進んで行きました。
オスマントルコ艦隊左翼のウルチ隊もドリア隊を追って南へと向かいますが、中央隊との距離が空きすぎたことに気づきました。
同じように空いている敵軍の右翼隊と中央隊との間隙に突入するチャンスです。
オスマントルコ艦隊ウルチ隊はすぐに引き返し、カトリック連合艦隊中央隊の右側面に襲いかかりました。
このカトリック連合艦隊のピンチに逸早く気づいたサンタ・クルズ候は予備隊の全てを中央隊の右側面に急行させ、南に向かったドリア隊もすぐに引き返します。
これによってオスマントルコ艦隊ウルチ隊は敵軍に包囲される前に脱出するため、せっかく捕獲した船をすべて放棄せねばなりませんでした。
 
 
■ レパントの海戦は、カトリック連合艦隊の大勝利に終わります。
カトリック連合艦隊の損害はガレー船13隻(沈没12隻、捕獲1隻)死傷者1万5千名に対し、
オスマントルコ艦隊の損害はガレー船230隻(沈没113隻、捕獲117隻)戦死者3万名、溺死者多数、捕虜8千名にのぼり、ガレー船の漕手に使われていたキリスト教徒の奴隷1万5千名が解放されます。
 
 
■この海戦は、ヨーロッパ史にとっては大いなる転換点ではあったが、オスマン史にとってはさほど衝撃的なものではなかった。
ただしオスマン帝国がこの大敗に動揺し、スレイマン1世没後の帝国の曲がり角に立った大事件であった事は事実である。
 
 
★大航海時代オンラインで、この「レパントの海戦」イベントが行われますね。
アドレス
ttp://www.gamecity.ne.jp/dol/live_event/061019.htm

良いイベントとして楽しめる事を希望します。
バカリャオのコロッケと、赤ワイン
■通常「肉には赤ワイン、魚には白ワイン」などといわれていますが、ポルトガルでは、最もポピュラーなバカリャオ(干たら)料理は赤ワインとともに食されることが好まれているようです。

★美味しそう〜〜。食べてみたいもんだ。(ゲーム内では良く食べてます;;;^^)

★前に考察した、お腹一杯現象について
どうも最近はアップデート後のバグなども解消されてきて安定した感があります。
簡単に云うと、行動力ゲージの5割(半分)までは何を食べても平気です。(お腹一杯現象起こらない)
それ以上になると基本的に運次第と思われます。
大体・・・7割まではホボ平気で、それ以上からは運次第でお腹一杯現象が起こるようです。(自分の生産時の行動力補充からの体験です。)
なので半分までは大きい回復力を持つ「ブイヤベースやパエリアなど」が効率的です。
「りずむ」様、前の考察の節は貴重な御意見を、ありがとう御座いました。
錬金術と「パラケルスス」
■一般によく知られた錬金術とは、物質をより完全な存在に変える賢者の石を創る技術のことをいう。この賢者の石を用いれば、卑金属を金などの貴金属に変える事ができるという。
また、人体を永遠不滅に変えて不老不死を得る事ができるとされ、この場合は霊薬、エリクサーとも呼ばれる(なお、賢者の石が文献上に記述されるのはエリクサーよりかなり後である)。
それ故、錬金術は神が世界を創造した過程を再現する大いなる作業であるとされる。
特に中世ヨーロッパにおいて長期間にわたって行なわれたが、これは西洋において他の学問などと同様に一度失伝した錬金術が イスラム世界から再導入されたものである。

Alchemy(アルケミー)はアラビア語 Al kimiyaに由来し、Al はアラビア語の定冠詞(theに相当)であり、この技術がイスラム経由で伝えられたという歴史的経緯を示す。
語源については通説は定まっていない。
エジプトの地の意のKham(聖書でもHamとして使われた)からKhemeiaはエジプトの術の意味だという。
ギリシア語でKhumos(植物の汁の意)で、Khemeiaは汁を抽出する術の意味だという。

●さらに錬金術には、一般の物質を「完全な」物質に変化・精錬しようとする技術のことであり、 さらには人間の霊魂をも「完全な」霊魂に変性しようという意味を持つこともあった(=神に近づく、神になる、神と合一する方法ともいえよう)。
また、ホムンクルスのように、無生物から人間を作ろうとする技術も、 一般の物質から より完全な存在に近い魂を備えた人間を作り出すという意味で錬金術と言える。

●特に高度な錬金術師は、霊魂の錬金術を行い、神と一体化すると考えられたので、宗教や神秘思想の趣きが強くなった。
錬金術に携わる研究者を錬金術師と呼ぶ。最も真理に近付いた錬金術師は(古代の伝説上の人物)ヘルメス・トリスメギストスと言われ、著したとされる『ヘルメス文書』、『エメラルド・タブレット』は尊重された。

ウロボロス『ヘルメス文書』はあるアラブ人の手によってエジプトの大ピラミッドの内部にあるヘルメス・トリスメギストスの墓から発見されたといわれるエメラルド板に記された文書である。
当然ながら原版は現存せず、中世に書かれた写本が現在に残る最も古い完全な写本である。
そのためその歴史的信憑性は長年怪しまれてきたが、後年エジプトのテーベで発見された魔術師の墓から見つかったパピルスに『ヘルメス文書』の写しの一部が記述されていたため、現在ではその歴史的価値は一応認められているといえよう。
ちなみにこのパピルスは現在「ライデン・パピルス」と呼ばれ、カイロ博物館に保管されている。

●錬金術は、中世のヨーロッパの非キリスト教に対して行われた弾圧に対して、弾圧される側の人々が非キリスト教的な知識や行動をごまかすために使った手段であるという見方もある。
黄金などの成果を生み出すと言うことで、神秘主義や魔術を含む異教の知識に関わっていた人々が、富豪や権力者の保護を受けることが出来た。
 
 
■錬金術の成果
●ヨーロッパでの磁器の製法
ヨーロッパでは磁器を中国から輸入しており非常に高価な物だった。それをヨーロッパで生産する方法を発見したのは錬金術師である。

●ランビキ蒸留の技術
ランビキ(蘭引、日本には幕末にオランダから伝来。ジャービル・イブン・ハイヤーン、ラテン名ジーベル(他にゲベル、ジャビル)が考案したとされるアランビークのこと。)(蒸留器)の発明とそれによる高純度アルコールの精製、さらに天然物からの成分単離は化学分析、化学工業への道を開いた。 (要は、蒸留酒の技術発展)

●中国での火薬の発明
中国の煉丹術師の道士が仙丹の製作中偶然発明したといわれる。のちに西洋に伝わる。
 
 
■現代の科学による金の生成
錬金術の目的の一つである「金の生成」は現在では可能とされている。金より原子番号の1つ大きい水銀(原子番号80)にガンマ線を照射すれば、原子核崩壊によって水銀が金に変わるのである。
ただし、十分な量の金を求めるのなら、長い年月と多くの資金が必要であり、得られる金の時価と比べると金銭的には意味が無いと言える。
いずれにせよ、化学的反応によって卑金属から貴金属を生成することが出来ないのは明らかである。

■パラケルスス
パラケルスス(Paracelsus, 1493年か1494年 - 1541年9月24日)は、ヨーロッパ初期ルネサンス期の有名な錬金術師、医師、自然哲学者。
本名は、テオフラトゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバトゥス・フォン・ホーエンハイム (Theophrastus Philippus Aureolus Bombastus von Hohenheim)。
スイスの巡礼地で有名なアインジーデルン(チューリッヒの南南東約35Km)に生まれる。
1515年、イタリアのフェラーラ大学医学部を卒業。
1525年、スイスのバーゼル大学の医学教授に就任。しかし、キリスト教を批判したために追放されて、放浪の医者となる。
ザルツブルクで没し、聖セバスチアン墓地に埋葬された。

「パラケルスス」とは、古代ローマで高名な医者であったケルススをしのぐ、という意味である。パラケルススは医者であり、完全な生命を生み出すために錬金術師になったと伝えられる。
また、人造人間ホムンクルスをつくった、賢者の石を所持していたなどの伝説がある。
一説によると、タロットの大アルカナの1「魔術師」は彼がモデルともいわれている。ただしタロット自体は彼の誕生以前から存在していたので、後世になって、彼の神秘性から関連づけて考えられるようになったと思われる。
どんな味なんでしょうかね?幻のワイン?!
■幻のワイン、来月東京で競売 【時事通信社】[ 2006年10月14日10時3分 ]

ロシア皇帝が収集を始め、門外不出とされてきた「マサンドラ・コレクション」のワインの一つ、サンデマン1870年もの。貴重なワインを集めたオークションが来月2日、東京で行われる(ピーロート・ジャパン提供)

★いったいどんな味がするんですかね?お値段も気になりますね。^^;;;
最古の酒とは?ミード?ビール?ワイン?どぶろく?
■酒の歴史 [ミード、ビール、ワインの誕生]
人間の誕生と酒の誕生、どちらが先であるかと考えたときに、500万年前に人間が生まれたのに対して、2千万年前の地球にブドウが生息していたころが発見されてることから、自然発酵により、ワインの原形が先にできたいたものと考えられる。

その後、
人間の手によって意識的に酒が造られるようになったが、はっきりとした特定は難しい、まあ、原始時代にはそのようなゆとりは無かったと考えられる。一定の土地に定着して農耕生活(定着農耕)をはじめたころから、酒造りがはじまったと考えられる。

●酒の歴史は非常に古く、有史(文字の歴史)以前から作られる。
人類が最初に造った酒は蜂蜜酒「ミード」だという説がある。水で薄めた蜂蜜は、自然酵母の働きで酒になるからである。
また、サルが木の洞に果物を集めると、その果汁が発酵してサル酒になるという伝説があるが・・・・・これは疑わしい。
いずれにしても検証されていない。

●2004年12月、中国で紀元前7000年ごろの賈湖遺跡(かこいせき)から出土した陶器片を分析したところ、米・果実・蜂蜜などで作った醸造酒の成分が検出されたという報告があった。
いまのところこれが考古学的には最古の酒である。
中国において殷・周のころ、酒は国家の重要事である祝祭において重要な意味を持っていた。
非常に手の込んだ器である殷代青銅器のうち、多くのものは酒器である。しかし殷の紂王は酒に耽り、酒池肉林の宴を行って国を滅ぼした。
『論語』には、「郷人で酒を飲む(村の人たちで酒を飲む)」などの記述があり、紀元前5世紀頃には一般的な飲み物になっていたらしい。

●オリエント世界では、紀元前5400年頃のイラン北部ザグロス山脈のハッジ・フィルズ・テペ(Hajji Firuz Tepe)遺跡から出土した壺の中に、ワインの残滓が確認された。また紀元前3000年代には、シュメールの粘土板にビールのことが記録されている。シュメールの後を継いだバビロニアで、最古の成文法であるハンムラビ法典の中にビール売りに関する法律が記されている(第108条〜第110条)。
文献には、
紀元前4〜5千世紀頃の古代オリエント最古の文学作品「ギルガメッシュ叙事詩」の中で記載されている。書板にであるが、赤白ともにワインを造っていた事が記されている。
また、紀元前4200年頃のもののシュメール人の遣した板碑「モニュマン・ブルー」にはビール作り用のエンメル小麦を脱殻して、ビールを造る様子がある。

●エジプトでは紀元前2700年頃までにはワインが飲まれていた。ツタンカーメン王の副葬品の壺からはワインが検出されている。またビールも広く飲まれていた。ピラミッド工事の労働者たちにはビールが支給されていたらしい。オリエント世界ではブドウの育つ場所が限られるので、ワインは高級な飲み物であり、ビールはより庶民的な飲み物だったらしい。

●ギリシア・ローマは、ブドウの産地ということもあり、ワインが多く生産された。
それらはアンフォラと呼ばれる壺に入れられて、地中海世界で広く交易されていたらしい。
酒の神ディオニソス(ギリシアではバッカス)が信仰され、酒神を讃える祭りが行われた。

●古代バビロニア時代に、香水を作るための蒸留技術があったという説があるが、 蒸留の技術は、3世紀頃のアレクサンドリアの錬金術師たちには既に知られていたと推測される。

●ローマ帝国は、イギリスをはじめヨーロッパの各地を支配下に収め、その過程でワイン生産の技術を伝えた。フランスのボルドーやブルゴーニュなどではそのころからワインの製造が始まっている。
なお、
イギリスは気候の低温化によりブドウ栽培できなくなりワイン生産は廃れた。(しかし蜂蜜が豊かだった為「ミード」は作られていたと思われる。)
 
 
★酒(エタノール)としての存在はどうみても果実酒(ワイン)が先と思われます。また、製造方法がワイン&果実酒は簡単なので、早い段階で作られていたと思います。
ナツメヤシ酒 (date wine)
●ナツメヤシ酒(date wine)
北アフリカからインダス川までの乾燥地帯で栽培されるナツメヤシの果実(デーツ)または樹液を原料とした酒。糖度が高く、酵母を加えなくても発酵する。BC440年頃の書物にナツメヤシの記述があり、この当時からナツメヤシ酒が存在していたと考えられる。

■パラダイスの樹ナツメヤシ
アラブ名物ナツメヤシの実。干し柿を少し甘くしたようなその味はなかなかのもの。全世界のナツメヤシの二割はイラク産という。
ナツメヤシは中東とは切り離して考えられない植物で、その実は今でも農村地帯の主食となっている。乾かして保存食(吊るし柿のような味)となるうえ、アルコール(アラク酒)の原料にもなり、葦、枝、幹、そして繊維など、樹木の乏しい中東の農村では、利用できないものは何一つない貴重な物資といえよう。

●「アラク酒」と呼ばれるものの中で原料はナツメヤシの物もあります。エジプトだけでなく、ギリシャや他の中東諸国産のものがあります。多分他の国のアラク酒のほうがおいしいと思いますが、これはアルコール度が強いので酔っ払いたい時に非常に便利です。
氷で割ると、透明のお酒が白濁し、なかなかいい感じです。一本12〜17ギネーぐらい(約480〜680円)です。味は甘目ですね。好き嫌いのはっきり分かれるお酒だと思います。(ナツメヤシ酒を蒸留した酒。「ラク酒」の類)

★ゲームの中には「アラク酒」は>>「ラク酒」(蒸留酒)と云う形で、存在していますが・・・、ナツメヤシ酒(date wine)は存在していませんね。
ナツメヤシ酒は古代から存在する御酒なので出して欲しいものです。

ちなみに・・・
ナツメヤシ(デーツ)は、お好み焼きソースの材料としても使われていた時も有るそうです。そういえば最近本格的なお好み焼き食べて無いなぁ・・・。
ルイボスティー
■南アフリカの山脈の一部でのみ栽培される、ルイボスの葉を自然発酵させたお茶をルイボスティーと言います。学名は『アスパラサス・リネアリス』で、ルイボスは現地語で『赤い藪』を意味します。これはお茶を作る発行過程で、新芽が赤くなってくる事が由来しています。
ミネラルやマンガン、フラボノイドなど様々な成分が含まれておりアトピー改善や成人病の予防と言った健康効果だけでなく、妊婦さん子供たちが飲んでも無害な事(ノン・カフェイン)や、まろやかな口当たりから関心を集めています。

●元々、
古くから、現地住民のホッテントット族・バンツー族などが「ルイボス」(赤いやぶの奇跡)と呼び、愛飲していたお茶で、
その効果に着目したギンズバーグ博士(1904年、現地に訪れた植物学者)の手により学術研究がなされ、その驚くべき能力が初めて文明社会に紹介されました。
そして、世界中にと広まっていきました。
1954年には正式に南アフリカの重要輸出品と定めら、日本では1983年になって初めて紹介されて、現在の様に高い人気を誇る様になったのでした。

●緑茶やコーヒーと異なって、ルイボスティーにはカフェインが含まれない為、赤ちゃんから妊娠・授乳中、お年寄りの方まで安心して飲めます。
特に、妊娠中の方にとって必要不可欠なミネラルも摂取する事が可能なので、妊娠中の方に対して非常にオススメです。
苦味が少なく口当たりが良いので飲みやすいです。

●あらゆる病気の原因になる活性酸素を除去する効果があります。
ルイボスティーには、なんと緑茶の50倍、ウーロン茶の30倍のSOD(スーパー・オキシド・ディスムターゼ)様物質(フラボノイド)が含まれています。
それによって老化防止に加えて抗がん作用も働きます。同時に、血圧の上昇を防ぐ為に高血圧などの改善にも繋がります。
抗酸化作用によって肌がスベスベになり、シミを消したり薄くする効果もあります。

ノンカロリーだけでなく便通効果もあります。また、花粉症やアトピー、喘息と言ったアレルギー症状の緩和や改善に対して、非常に高い効果を示します。(薬では無い、あくまでも健康飲料として・・・)

カフェインが含まれず、脳の興奮作用を抑制してくれて快適な睡眠が取れます。更に、胃の調子も良くなり食事が美味しく感じられる様になります。
 
 
■その効果からか、日本だけでなく各国でルイボスを栽培する計画が実行されました。
しかし、
その全ては失敗に終わり唯一存在するのはセダルバーグ山脈で栽培される分のみです。その場所は、古代の海底が隆起したと言われる場所であり、土壌は酸性を含んでいます。
ルイボスは非常に根を深く張るので、その古代の海水成分を吸収して大きくなるのだと考えられます。
結果、
ルイボスのミネラル成分は古代の海水と非常に酷似しているのです。海水成分は人間の元素と酷似している為に、ミネラル不足な現代人にとって大切な成分と言えます。
こう言った特殊な土地的・環境的条件が備わって、初めてルイボスは育つのです。
年間生産量は8000t程度と、紅茶の220万t・お茶の70万tに比べて非常に少なくなっています。
 
 
★ちなみに某ラーメン店(一風堂だったかな)では、水の代わりに「ルイボスティー」がお茶として出てきます。(一風堂では、スープはもちろん、麺、元だし、店内のお茶にいたるまで、すべてにミネラルウォーターを使用しています。)

マディラワイン

2006年10月12日 グルメ
マディラワイン
■マデイラワインとは?
シェリー、ポートと並び、世界三大酒精強化ワイン(フォーティファイド・ワイン)に冠たるマデイラ・ワイン。
ついため息がこぼれてしまう、甘美な芳香と独特な風味は、かのシェークスピアをして「命と引きかえにしてもいい」と言わしめたほどです。

マデイラ・ワインの特徴は、ワインを温めながら熟成させるという製法にあります。

●もともと、帆船時代の17世紀、赤道を横切る暑くて長い航海を終えると、積み込んだワインが特有のフレーバーを持つことがわかり、マデイラ・ワイン誕生のきっかけとなりました。
その後、またもや偶然的に、ジブラルダル海峡を巡る紛争のため、一時市場を失ったマデイラ・ワインをうまく保存しようと、ワインを一部蒸留するようになりました。それが、後で飲んでみると、意外にも味わい深いワインに変化していたのです。
これ以後、マデイラ・ワインの製法に、※酒精強化が重要なプロセスとして加わりました。
また、
長い年月をかけて作られたマデイラワインは、寿命が長いことで知られています。
もっとも古いもので、1700年代半ばのものを見かけることができるのです。

※酒精強化・・・熟成途中で、ブランデーなどの蒸留酒を加えてアルコール分を高くし、ブドウの糖分を残す方法。(酒精強化が始まるのは18世紀になってからのことです。)

●「エストゥファ」がマデイラワインの芳香を際立てる
醗酵後澱びきされた新酒は、樽に入れられ「エストゥファ」と呼ばれる温室で加熱されます。
アルマゼン・デ・カロール(熱い倉庫) 昔は1階で直火を焚いて倉庫を温めてきましたが、現在ではマディラの気候を生かし、太陽熱によって倉庫全体を温めています。
時間と手間と場所が必要ですが、熱のあたりが優しく微妙な味わいを要求される高級品に適しています。

赤道付近を航海することによって加熱し、独特の香りを持たせるというプロセスを合理化したのがこの「エストゥファ」。
3〜6ヶ月以上もの長い時間をかけて、40〜50℃で加熱します。エストゥファの期間に、マデイラワインは独特のフレーヴァーを獲得するのです。

 
■モロッコの西600Kmにあるポルトガル領マデイラ島産のワインを“マデイラワイン”と言います。
ブドウの果汁を発酵させ、ブランデーを加えてたるに詰めた後、30〜50度のエストファー(乾燥炉)で熟成させるという独特の方法でつくられています。
スモーキーな香りとほのかなキャラメルの味、デリケートな酸味が特徴です。
スタンダードな製品は主に“ティンタ・ネグラ・モーレ種”で醸され、上級品はそれぞれ使用品種名で分類されています。
 
お料理用からデザート迄使用用途が多彩で、レストランやショットバー等の業務用のお客様から一般ユーザー様迄、幅広くご愛用頂いています。

バトン

2006年10月11日 趣味
「春紫苑」さまのバトンでし。やってみますね。^^;

入院・・・× 
手術・・・×
骨折・・・×
献血・・・×
失神・・・×
しゃぶしゃぶ・・・○ たまーーーーーに
エスカルゴ・・・× お酒に合いそうなので試してみたいけど・・・いまいち勇気が・・・orz
補導・・・×
女を殴る・・・× バイオレンスは映画とゲームで御腹一杯。
男を殴る・・・O 大昔。^^;
就職・・・○
退職・・・○
アルバイト・・・○
海外旅行・・・×
海外留学・・・×
ギター・・・×
ピアノ・・・×
バイオリン・・・×
メガネ・・・×
オペラ鑑賞・・・O ビデオだけど鑑賞した。生は無い。
テレビ出演・・・O 野球見に行った時、観客の一人として映ってたらしい
パチンコ・・・×
競馬・・・× 昔はやってたけど今は辞めちゃった。
合コン・・・×
北海道・・・×
沖縄・・・×
四国・・・×
大阪・・・△
エスカレーターを逆走・・・○ 子供の時に
フルマラソン・・・×
自動車の運転・・・O
10kg以上減量・・・×
交通事故・・・×
電車とホームの隙間に落ちる・・・× 酔ってて落ちそうにはなった。^^;
1万円以上拾う・・・×
1万円以上落とす・・・×
ピアス・・・×
50万以上の物を買う・・・○
ラブレターをもらう・・・○
幽体離脱・・・× 金縛りは前住んでた所でタマにあった。><;
先生に殴られる・・・× 結構優等生だった。^^;;;
徒競走で1位・・・×
妊婦に席を譲る・・・× 電車の席は譲らない事多い。
他人の子供を叱る・・・× 他人には干渉しない主義。
20過ぎてシラフで転ぶ・・・O よく転ぶw
同棲・・・×
ストリート誌に載る・・・×
2m以上の高さから落ちる・・・△ 子供の時落ちたかも・・・
学級委員長・・・×
恋人が外国人・・・ ×
刺青・・・×
ナンパする(される)・・・×
逆ナンパされる(する)・・・× ナンパ系はしない、されない、相手にしない。
1年以上付き合う・・・×
1週間未満で別れる・・・×
ディズニーランド・・・○
異性に告白・・・○
同性から告白される・・・×
中退・・・O 高校中退後、大学検定試験受けて合格。(浪人をへて)大学へ進学
留年・・・×
浪人・・・O
酔って記憶をなくす・・・O 昔、お酒がぶがぶ飲んでた頃良くやった。^^;
飲酒運転・・・× ダメぜったい!!
保証人・・・× お金にはシビアー(DOLでも生粋商人だしね;;^^)
食中毒・・・△ 酷い症状のは無いけど軽いのは有る。TT;
無言電話・・・× 
ピンポンダッシュ・・・O
酒・・・O 適量なら百薬の長!!!

ふつー過ぎな回答だったかな。^^;

アトーレ

2006年10月11日 グルメ
アトーレ
アトーレというコーンスターチから作る重湯のような汁
トウモロコシの粉で作ったドロドロの飲み物

グァテマラ辺りでリアルでは今でも飲まれている飲料みたいですね。

コーンフレークにかけたりして食べる方も居るようです。
フルーツ・ブランデー 「カルヴァドス」
■カルヴァドス (Calvados) は、フランスのノルマンディー地方北部で造られる、林檎のブランデー、すなわち林檎を原料とした蒸留酒である。(フルーツ・ブランデー)

殆どのフランス産ワインと同様に、AOC(原産地呼称規制)の対象である。「カルヴァドスAC」(Appellation Calvados controlee)地区は、カルヴァドス、マンシュ(Manche)、オルヌ(Orne)の各県の全域に加えて、ウール(Eure)、マイエンヌ(Mayenne)、サルト(Sarthe)とウール・エ・ロワール(Eure-et-Loire)の一部を含む。より限定された「カルヴァドス・ペイ・ドージュAC」(Appellation Calvados Pays d’Auge controlee)の地区は、カルヴァドス県の東端と、その幾つかの隣接地域に限られる。
 
 
★カルヴァドス飲んでみますた(ストレート+チェイサーで)。感想は・・・VSOPのブランデーとかと比べると、香りは少し少なめ。ほんのりリンゴの香気が漂います。味はマイルドです。微妙にブランデー(葡萄)と違ってリンゴの風味が極々少なく有ります。総評としてはVSOPのブランデーの方が香りや味もボディーがしっかりしてて、カルヴァドスはソフトな感じと言う感じでした。美味しかったです。^^

★飲んだ品「ブラー・グラン・ソラージュ」
■Grand Solage de Boulard Calvados Pays d`Auge■原産国:フランス
■ブラーカルヴァトスは1825年の創業以来現在に至るまで、ブラー家によりその製法が厳然と守られています。ブラー社はノルマンディーの中心であるペイ・ドージュの豊かな土に自社農園を所有する唯一のカルヴァドスメーカーで、そこで収穫される上質のりんごのみを使って原酒を造ります。
■Grand Solageはりんごの持つ独特のアロマが生かされ、オーク樽のフレーバーをほどよく備えた香り高いカルヴァドスです。ストレートやオン・ザ・ロックのほかにジンジャーエール割などカクテルのベースとしてお好みに応じてお楽しみ下さい。
-5代目社長 ヴァンサリ・ブラー-

●ときの首相マンデスが国民はアルコールを飲まずミルクを飲むようにと激励したのを皮肉ってつくられたシャレたアルマニャックブランデー。食後のチーズや、シガーとの相性がよいカルヴァドスですが、カクテルベースとしても頻繁に使われています。定番ジャックローズからコーヒーに入れて飲むホットカクテルまでいろいろなカクテルが楽しめるお酒です。
★コーヒーに入れて飲むホットカクテルって、なんか良さげ。紅茶にブランデー(葡萄)とはマタ違った味わいなのかな。

■作りのこだわり
・フランス・ノルマンディー地方カルヴァドス地域の中でも最上のリンゴ産地ペイ・ドージュ産のリンゴのみでつくられた最上級の限定品。
・120種類のリンゴを使用。

■味わいの特徴
・3〜5年熟成のフレッシュな原酒由来のリンゴを連想させるフルーティーな香り。
・オーク樽での熟成香とのバランスの取れた味わい。

■おいしい飲み方
・[ブラー トニック]ブラーグランソラージュ 45 ml 、トニックウォーター(トニックウォーターって、大昔はキニーネの成分入りでしたが今は入ってないです) 135 ml 、ライム又はレモンを絞り入れる。

シェリー酒

2006年10月9日 グルメ
シェリー酒
■シェリー酒 - シェリーは英名。スペイン名「ヘレス」。アンダルシア地方のヘレス・デ・ラ・フロンテーラ原産。
シェリー酒はヘレス・デ・ラ・フロンテーラとサンルーカル・デ・バラメダ、プエルト・デ・サンタマリアとその周辺の6カ所で造られています。
原産地呼称はヘレス・デ・ラ・フロンテーラとサンルーカル・デ・バラメダで、ここで熟成されたものだけがシェリーと名乗ることができます。
普通のワインの違いは、酒精強化している点と「ソレラシステム」という製造方法です。
シェリー酒は白ぶどうのみから造られ、基本となる『フィノ』と『オロロソ』の他25前後の種類があります。
  
  
●シェリーは大まかに分けて4種類あります。
「フィノ」「マンサニージャ」「アモンティリャード」「オロロソ」です。
これらは「パロミノ」種というブドウを使い、発酵の前まではまったく同じものですが、
気候、添加するアルコールの量などにより色、香り、味わいが変わってきます。

「フィノ」  最も普通のシェリー。
        辛口で食前酒に最適ですが、もちろん食中でもいけます。
        発酵時に酵母に覆われ、あまり空気に触れない為、透明に仕上がり、
        独特の風味が付きます。

「マンサニージャ」  「サンルーカル・デ・バラメダ」という町でしか造れないフィノタイプ
        のシェリー。気候の違いにより、酵母が通年安定して付いているので、
        フィノとは一味違う軽やかさとキリッとした風味があります。フィノの妹分
        といった感じ。
        

「アモンティリャード」  フィノに付いていた酵母が無くなった、もしくは意図的に
        無くした物にさらにアルコールが添加され、空気に触れることによって
        酸化熟成したものです。
        フィノより空気に触れる時間が長いため、色は褐色。アルコール度数が
        高めで、食中、食前にオススメです。

「オロロソ」  発酵の過程で酵母が発生しなかった、または意図的に付けなかった
        物で、通年空気に触れることによって酸化熟成されます。また、酵母が
        無いため、腐敗防止の為にアルコール度数が高められています。
        なめらかな口当たりで、ブレンドによって甘口にされることも多く、
        食中、食後にオススメ。

 
 
●製造過程
原料となるブドウはパロミノ、ペドロヒメネス、モスカテルの三種で、この地域独特の石灰分を多く含んだアルバリサと呼ばれる土で作られる。
普通の白ワインと同様に、収穫されたブドウはワイン工場に運ばれる。(甘口や極甘口を作るときは日干しされレーズン状になってから処理されることもある)

アルコール発酵が始まり、アルコール度が11〜12%になった白ワインの表面には、フロールと呼ばれるシェリー特有の酵母膜が現れ、これがシェリー特有の味を作っていく。

熟成法によって「フィノ」と「オロロソ」に大別され、酒精強化時にフロールの成育限界(アルコール度数16%)を超えないように調整されたものがフィノ、超えるように調整されたものがオロロソとなる。
熟成法は試飲のもとに分けられ、やさしく、繊細な味のものはフィノ用に、ボディのしっかりしたものはオロロソ用などにまわされる。
フロールによって表面を覆われたままのフィノは酸素と遮断されるため薄い色調で繊細な味わいになるのに対し、オロロソはフロールが無くなる事により酸素と触れるため、色は琥珀色になり独特の芳香を持つようになる。

樽に移されたシェリーはソレラシステムという独特の方法で熟成される。段々に詰まれた樽は、上にいくほど新しく、下に行くほど古い。出荷するときには一番下の樽から取り出し、減った分は上から補充する。
決して一度に大量に抜いたりはせず、少しずつ取り出され、少しずつ補充されるため、味は常に一定となる。
一番下の樽には焼き鳥屋のたれの原理で、かなり古いものが少量混じっていることになる。
ちなみに、最下段の樽をソレラといい、最上段の樽をクリアデラという。 熟成期間は最低でも3年、長いものでは100年以上に及ぶ事もある非常に長命なワインである。

細かい製造法・熟成法の違いにより上記の二種類の他にも、「アモンティリャード」「マンサニージャ」「クリーム」など約25種類製法、1000種類ものラベルがあり、甘口、極甘口、辛口に大きく分類される。日本人に一番なじみがあるのは辛口のフィノタイプであろう。

●「ペドロヒメネス」「モスカテル」
甘口のシェリーは「ペドロヒメネス」種と「モスカテル」種という白ブドウから造られ、ブドウの名前が
そのままシェリーの名前になっています。ブドウを天日干ししてから発酵させるので糖度が高く、酒精強化しなくてもアルコール度数が高まり、酵母なしで酸化熟成していきます。
熟成されたものは黒蜜のような香りと味を持ち、デザートワインに最適です。
 
 
●シェリー酒は「食前酒」と思われがちですが、実は立派な「食中酒」です。ぶどうの渋みや甘さが口に残りやすいふつうのワインと違い、シェリー酒のキレ味とすっきりした喉ごしは食事を際だて、飲み飽きしないのが魅力です。
産地のへレス周辺やアンダルシア地方では当たり前の飲み方でしたが、今スペインではシェリー酒を食事と合わせるのが流行しています。
また、ここ数年のマンサニージャブームはイギリスにも飛び火して、マンサニージャ・バーまで登場しました。

ちなみに女性が男性に対して「シェリーが飲みたい」と告げるのは「今夜はOKよ」というサインだと俗に言われています。

< 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 >

 

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