アッピア街道
大航海時代オンラインでは冒険をチマチマやっています。「アッピア街道」を発見しました。
(引用ウィキペディア)
アッピア街道(Via Appia、アッピアかいどう)は、現存するローマ街道の中でも最も有名なもののひとつで「街道の女王」の異名を持つ。新しいアッピア街道が1784年に旧道に平行して敷設されたため、アッピア旧街道 (Appia Antica) とも呼ばれる。

概要・歴史
紀元前312年に当時のケンソルであった、アッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により、すでに存在したローマとアルバーノ丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まった。

アッピア旧街道の当初のルートはローマ市内(カラカラ浴場付近)とアリッチャ、アッピウスのフォルム、テッラチーナ、フォンディ、フォルミア、ミントゥルノ(ミントゥルナエ)、モンドラゴーネ(シヌエッサ)、カープアだった。

紀元前190年、街道はベネヴェント(ベネウェントゥム)やヴェノーザまでさらに延長され、次の時代には、ターラント(タレントゥム)とブリンディジ(ブルンディシウム)まで延長された。

「アッピア・トライアーナ」、つまりトライヤヌスのアッピア街道は、より線状にベネヴェントとカノーザ(カヌシウム)やバーリ(バリウム)を繋いだ。

紀元前71年、約6000人の奴隷がスパルタクスに率いられ反乱を起こした。マルクス・リキニウス・クラッススによってこの奴隷反乱が鎮圧されると、逮捕された反乱者たちは街道沿いに十字架にかけられ、それらはポンペイにまで達した。

ローマ帝国の滅亡後、街道は永らく使用されなかったが、教皇ピウス6世の命により修復され再び利用された。

街道の広い部分は元の状態で現在まで保存されていて、ところどころは現在でも自動車道として使用されている(例えば、ヴェッレトリ近辺)。 ローマに近い街道沿いの部分では、ローマ時代の墓碑や初期キリスト教のカタコンベを多数見ることができる。

アッピア街道上にて初めてマイルストーンが見られた。

リンク アッピア旧街道州立公園 公式サイト
http://www.parcoappiaantica.org/
 
 
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諸葛亮孔明 様
SSは諸葛亮孔明さまです。
コーエーのオフライン三國志シリーズのゲームでは、諸葛亮さまがズバ抜けて能力の高い天才軍師として評価されています。

実際はどうだったのかチョット検索などしてみて調べてみましょう。

落日の蜀に散った名軍師〜諸葛亮〜 サイト
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9535/komei.html

蜀の丞相 諸葛亮孔明のサイト
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916/koumei.html

諸葛亮 wiki (コピペしてお使いください)
http://www.wikihouse.com/sangokushiss/index.php?%BD%F4%B3%EB%CE%BC

ウィキペディア (コピペしてお使いください)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%91%9B%E4%BA%AE
諸葛亮を評したものは、前述の司馬懿のほか、『三国志』の撰者である陳寿による評、『三国志』に注をつけた裴松之の「諸葛亮が魏に仕えて能力を発揮していたら、陳羣や司馬懿でも対抗できなかっただろう」、あるいは北宋の蘇軾の「強大な曹操に対して、自らの内の忠信の心のみをもって対抗した」(『東坡全集』前集巻43「諸葛亮論」)や南宋の朱熹の「孟子以降の人物としては張良と諸葛亮がいるのみである」(『朱子語類』巻163・歴代3)等、数限りなくある。

陳寿の評では「どのように小さい善でも賞せざるはなく、どのように小さい悪でも罰せざるはなかった。みなこれを畏れつつも愛し、刑罰は明らかで公平であった。その政治の才能は管仲・蕭何に匹敵する」と最大限の評価を与えている。しかしその一方で「応変の将略はその長ずるところにあらざるか」(臨機応変さは孔明の得意とするところではなかったのだろうか)とも書いており、政治家として有能であったと評しつつ、軍人としての評価については慨嘆するに留まり、やや口を濁した形になっている。

この陳寿の評について「彼の父が諸葛亮によって処罰されたため、評価を厳しくしたのだ」という説が『晋書』陳寿伝に載るが、信憑性は極めて薄い(詳しくは晋書の項を参照)。三国志における陳寿の各人物への評価は、彼が「超世の英傑」と評した曹操でも徐州における虐殺については酷評を極めるように、賞賛と批判を並列している。

裴注所引の『袁子』によれば、諸葛亮が行軍中に作った軍営・井戸・かまど・厠・防衛設備などは立派で良くできていて、撤退する時はそれらをすっかり取り去っていった。また諸葛亮は役所・宿場・橋・道路の修築が好きだった。袁子は「諸葛亮は基本を守る人間で、状況の変化に対応するのは得意ではなかった。だから不得手な面(状況の変化に対応する事)で無理をしなかったのである。不得手な点を知って無理をしない事こそ賢者の偉大なところである」と評している。

政治、戦略で諸葛亮がもっとも重視したものは、食料の安定供給である。これは、国内の治世にとどまらず、遠征中での陣中でも食料の栽培と自給に努めたことでもわかる。これにより、戦地で略奪行為が発生することを抑え、非占領地での民心の獲得に成功している。古代中国では、戦地で敵兵の人肉を食することは当然で、篭城中の城内では、人肉の流通が常識であった。いわく「4つ足で食えぬは、机と老親」というのが、現代の中国のことわざにも生きている。

また劉璋が支配していた益州を奪ったことに関して、蘇軾は「劉璋をだまし討ちにし、荊州に連れ去った事で天下の声望を失った。これでは曹操と変わる所が無い。劉備と曹操では才能・兵力・領土に大きな差があり、忠信の心のみが勝っていた。(劉璋をだまし討ちにして)これを失ってから北伐の大義と唱えても上手く行くはずが無い」と述べている(前掲「諸葛亮論」)。

これに対し、明代の学者王世貞は、劉璋を討つ事を劉備に勧めたのは諸葛亮ではなくホウ統・法正である事、また劉焉は漢朝からの独立を企図した叛臣とみるべき存在であり、子たる劉璋を討つ事は正当化される事などを理由として反論している(『読書後』巻2「書蘇子瞻諸葛亮論後」)。

また、西晋の司馬炎は「(諸葛亮を)自分の補佐にしていれば今日の苦労はなかったであろう」と宰相としての諸葛亮を賞賛している。一方、北魏の崔浩は「曹氏と天下を争う事もできず劉璋から国を奪い辺境で皇帝を僭称させた」と極めて辛口の評を述べている。

諸葛亮孔明さまは、三国志演義では主人公ですね。一般的には凄く人気の高い軍師様です。
なお、正確には「諸葛」が姓で「亮」が名で「孔明」が字(あざな)になるので「諸葛亮」か「諸葛孔明」と書くのが正しい書き方だそうです。
 
 
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曹操孟徳!
三國志オンライン(三オン)は、正式サービスになったら合戦の回数が減ってしまいました。なんていうか残念です。今後の善処を期待したい処です。

少なくはなりましたが、昨日の水曜日は合戦でした。久しぶりの合戦という感じがしました。
ところが、合戦の場所に何故か入れないというアクシデントが発生><;
正直、このアクシデントには参りました。

私は何度も合戦場へ入るを繰り返してナントか入れたのですが、結局入れない方々もいました。非常に残念です。どうやら人数の多い合戦場には入れないという仕様のようです。

合戦自体は、私の所属している魏の国が今までの合戦より苦戦していました。(結果的には二勝一敗で勝ちましたけども・・・)
相手は呉だったのですが、本格的に色々合戦の対策を練ってきたようです。魏危うし!!

SSは合戦前の曹操孟徳様の御言葉です。
 
 
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コウゾ・オンライン
三國志オンラインではLV上げの為セッセと採取して、加工するという事を繰り返しています。
採取はぶっちゃけ地味です。TVとか見ながらの合間にヤル感じです。
SSは生産の様子ですが、中央のウインドウの生産過程のバーが消えると一個生産という感じです。生産も地味です。
採取でLV上げても総合LVという形になりますので、三國志オンラインでは皆、採取オンラインに励んでいるという感じです。(採取で総合LVを上げる)

特にコウゾは1度で3度生産が出来るので(コウゾ>>コウゾ材>>高級紙>>高級白符)木工加工系の人は一生懸命採取しています。これを「コウゾ・オンライン」と言ってます。^^;

コウゾ(楮、学名:Broussonetia kazinoki × B. papyrifera)はクワ科の植物で、ヒメコウゾ(学名:Broussonetia kazinoki)とカジノキ(学名:B. papyrifera)の雑種である。和紙の原料としても使われている。

但し、ヒメコウゾの別名をコウゾとする場合もあるので注意を要する。

コウゾは落葉低木で、厳密にはカジノキとは異なるものであり、楮の字を用い、カジノキには梶、構、の字をあてているが識別は容易ではない。

古代では、植物の名前も地方によって呼び名が異なり、混同や混乱が多い。『本草綱目』や『農業全書』でも両者の差は葉に切れ込みがあるのは楮、ないのは構(=梶、カジノキ)」とするだけで種別としては「楮」に纏められてしまっている。

「紙麻(かみそ)」と言う語の音便より「こうぞ(かうぞ)」という語が生まれたとする説も存在するほど、古くから和紙材料として知られており、今日でも和紙の主要原料の楮としている。楮の皮の繊維は、麻に次いで長く繊維が絡み合う性質が強く、その紙は粘りが強く揉んでも丈夫な紙となる。古くは、檀紙は真弓紙とされているが、平安後期以後の檀紙はダンシと読まれ、楮紙とされている。

楮の皮の繊維を蒸して水にさらし、細かく割いて作った糸を木綿(ゆう)と言う。同じ字の木綿(もめん。ワタの繊維)とは別のものである。神道の祭事に用いられるが、後に紙で作られた紙垂も用いられるようになった。

(引用ウィキペディア)
 
 
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騎士オルシーニ
DOLの「3rd Anniversary」のイベントで、NPCとしてあの人気者「騎士オルシーニ」様が、やってまいりました。

騎士オルシーニ様は、復刻版の記念品が入った「メモリアルボックス」を渡してくれます。
場所はヴェネチアにいます。

出遅れ気味にDOLのイベントをヤリ初めまして、懐かしい騎士オルシーニ様に出会えたのでブログに書いてみました。

SSは騎士オルシーニ様です。

騎士(きし、knight)とは、主に中世ヨーロッパにおいて騎馬で戦う戦士に与えられる名誉的称号及びそこから派生した階級を指す。称号としての騎士を騎士号という。

騎士は、もともとは、古代ローマの兵役で経済的に騎兵を提供するほどの財産を持っている者を指し示していた(エクィテス)。

中世ヨーロッパにおいては、重装騎兵が戦闘の主役であり、そのためには優れた技量と精神的、肉体的な鍛錬が必要だとされ、その資格を有するものに騎士という称号を与えるようになった。

騎士になるにはまず、7歳頃から小姓(ページ)となり、主君の元に仕え騎士として必要な技術を学び、14歳頃に元服すると従士(スクェア)となり、先輩騎士について実際の戦闘にも参加するようになり、一人前の騎士と認められると主君から叙任を受けることになる。

叙任の儀式は基本的には、主君の前に跪いて頭を垂れる騎士の肩を、主君が長剣の平で叩くというものだが、騎士の戦士としての重要性が薄れると、かえって叙任の儀式は複雑化し、宗教色や騎士道精神といったものが強調されるようになった。

騎士道においては一般にキリスト教的観念に基づく、忠誠、公正、勇気、武勇、慈愛、寛容、礼節、奉仕などが徳とされてきた。

当初は騎士は叙任されるもので、生まれついての身分・階級ではなかったが、騎士としての装備を維持する必要から封建領地をもった階層に固定され、やがて男爵以上の貴族の称号を持っていない者の称号となった(ナイト爵)。

16世紀以降、火器の使用により騎乗戦の意義が薄れ、騎士が戦士としての役割を終えると、純粋な社会的階級となり、現在でもイギリスなどでは、男爵、準男爵に次ぐ爵位として、ナイト爵が勲章システムと結びついて存在している。別称は勲功爵、勲爵士ともいう。

騎士への敬称は主にSir(卿)という。但し、騎士は中国や日本の卿に比べてはるかに低い階級(卿、太夫、士)であるため、Sirを卿と訳するのはあまり正しくない。また、貴族の尊称Lordも同じく卿と訳されるため誤訳・誤用を招くこともある。

(引用ウィキペディア)
 
 
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望梅止渇
曹操は行軍中、兵が喉の渇きに苦しむのを見ましたが、
水源は、はるか遠くにあります。

そこで、
「前方に梅の林がある。梅の実で渇きを癒せ。」
と号令をかけると、兵は梅の酸味を思い出し、
口の中につばが湧き出して、喉の渇きが癒され、
無事水源にたどり着くことができました。

曹操孟徳さまにはこのような伝説があるそうです。
三國志は深いなぁ・・・・・と思いました。
 
 
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デルフォイ遺跡
大航海時代オンライン(DOL)の方は、マイペースに冒険をしています。
冒険の良い所は時間が縛られない、マイペースに出来る、クエストの数と地図の数だけ冒険がある!という点です。
デルポイ(デルフォイとも)はギリシア本土、パルナッソス山のふもとにあった古代ギリシアの都市国家(ポリス)である。現在は遺跡となっており、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

デルポイの遺跡は、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺構からなる。神域に隣接して、有力な各諸都市の財産庫も築かれていた。 古代ギリシアにおいてデルポイは世界のへそ(中心)と信じられ、ギリシア最古の神託所であるポイボス・アポロンの神殿の神託で有名であった。デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルポイの神託が登場する神話には、オイディプス伝説がある。

神がかりになったデルポイの巫女によって謎めいた詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。また時には賄賂を使って、デルポイの神託を左右する一種の情報戦もあったといわれる。デルポイに献納する便のために、ギリシアの各都市はデルポイに財産庫を築いた。これは一種の大使館の役割を果たしたとも考えられる。

SSはデルフォイ遺跡を発見した時のモノです。
 
 
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「キリン 世界のKitchenから 第三弾!とろとろ桃のフルーニュ」が、出ました。

甘さもそれ程甘くなく丁度良い感じに纏まっています。「とろとろ桃の」と言うのは「とろとろに煮込んだ」から来ている名前だそうです。

ミルクと桃の感じの調和が良い感じがしました。個人的には御気に入りの一品です。^^

世界の家庭を訪れると、まだ日本人の知らないおいしいものが多くあります。
「世界のKitchenから」シリーズは、世界中の家庭で出会った“自家製”の知恵や素材に学び、日本人の味覚に合うように、ひとてま加えたおいしさをお届けするブランドです。
2007年5月の「ピール漬けハチミツレモン」発売から、2007年12月までの期間で「世界のKitchenから」シリーズ合計で約2,500万本を販売しました。

 シリーズ第3弾となる「世界のKitchenから とろとろ桃のフルーニュ」はハンガリーの“フルーツスープ”をお手本にしました。フルーツスープの“煮込んだ果物と乳製品の組み合わせはおいしい”ことに着目し、ハンガリーのフルーツスープによく使われる桃と、日本でも人気が高く、桃と相性のよいマンゴーを素材にしました。
桃とマンゴーを「とろとろ」に煮込んで、乳原料と隠し味の塩を加え、後味さっぱりに仕上げています。
パッケージはハンガリーの伝統工芸のレースを全体にあしらい、背景の桃色と白色でフルーツと乳の甘酸っぱい味わいを表現しました。


「世界のKitchenから」公式HP
http://kitchen-fc.jp/
 
 
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三國志オンライン・プレオープン2最終日
三國志オンライン・プレオープン2も最終日を迎えました。最後の日にはパンダや動物に変身できる御札が、軍略のSかA評価を取ると貰えるようになってました。

23:00にGMが長安のインスタンス2に降臨。私は御札ゲットに忙しくて行けませんでしたが、凄く人で賑わっていたそうです。

SSは部曲の皆さんで撮った記念SSです。パンダのSSも有ったのですが、名前消したSSが撮ってなかったのでこれを載せました。

2月29日の15時から正式サービスが始まるそうです。

三オン・プレオープン2を自分なりに総括してみると
やっぱりMMOゲームらしく集団の事関係に重きを置かれたゲームだと思います。ある意味今の部曲に入ってなかったら正式課金しないで終わってたと思います。
部曲に入って集団でのPTやレイドなどを体験させて貰って、凄く楽しかったので正式課金したのです。

まあ・・・悪い点をあげると
ソロが余り面白く無い。戦闘がモタモタしてて爽快感が無い。軍略は面白いけど飽きるのも早い。採取が退屈・・・・・など課題もあるとは思います。

なので、正式サービスで何処まで伸びるかが、一つの大きなポイントになると思います。
良い点も多いゲームだけど、悪い点も多く、微妙な出来ではありますが、可能性は高いゲームでもあると思います。

それにしても部曲の皆さまには本当に御世話になってます。この場で御礼申し上げます。有り難う御座います。これからも宜しく御願い致します。
 
 
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水曜日は戦争!
水曜日に戦争が有りました。三国志オンライン(三オン)では週に3回戦争が有りますが、三国なので其の内の二回に出る事になります。

魏国は結構人口の少ない過疎気味なので、私も出来るだけ戦争に出た方がいいかな・・・・とか思って戦争に出ました。

勿論、戦争に出ないプレイをするのも自由です。三オンは国に仕官するのも、しないで自由人として暮らすのも自由です。
そういう自由さも、プレイの幅を広げる三オンの特徴的な重要な要素になっています。
私は仕官して部曲にも入って戦争もしていますが、そういうプレイスタイルを取らない自由もあります。

三オンの戦争はギスギスした感じとか恨みツラミや憎しみとか無いです。と、いうのも、現在戦争で勝っても負けても何も無いからです。勝っても特典は無いです。負けてもペナルティーは無いです。なので、名誉のみの戦争なので、戦争にかかわっても特に何も無いんです。
これは実は良い事だと思っています。

戦争に勝つと凄い特典が与えられるとか、負けると凄いペナルティーがくるとかなりますと、それだけ憎しみや恨みツラミが非常に増します。まあ・・・・・プレイヤーが本気になる部分はありますが、ありすぎてしまうのも事実なのです。
そうするとスパイ活動とか、どんな手を使ってでも勝とうとか・・・非常に戦争がキナ臭くなって、単なるゲームの戦争でも某ちゃんねる等での非常に汚い工作活動とかが激しくなってロクな事が無いのです。
今のように、戦争=一種の御祭り感覚。という感じは実は良いモノだと思います。

なので、4月に実装予定の三国制覇システムも飴を与えすぎず罰を与えすぎずという絶妙のバランス感覚が無いと、失敗する可能性もあります。

と、いう訳で、水曜日に戦争があったので参加してきました。
今回で2回目の戦争なので、まだまだ動きとかに無駄が多く、また凄い活躍とかも出来ませんでした。まだまだ改善の余地ありです。それでも前回よりは色々動けたので良かったと思いました。

戦争後はマッタリとして、其の後部曲PTで狩りに行きました。楽しいゲームの一時を送れて良かったです。^^
 
 
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道端で寝るオモシロス!
最近の記事は三国志オンライン(SOL)ばかりで、大航海時代オンライン(DOL)の記事少ないンじゃないか??とか思う人いましたら正解です。

やっぱり新型ゲームであるSOLは日々色々な発見とか有るんですよね。なのでブログの記事になりやすい側面が有るんですよ。

逆に今DOLとか少しだけインしたらば情報を貰いまして、××海域方面PK7とか別海域にPK1が港を封鎖中とか・・・・・そんな情報を貰っちゃいました。
まあ・・・・・PK7とか封鎖中とか言われると、もう外洋出て何かする気とか起こらないンですよ。

なので安全海域で出来る事しようとか思う訳です。
でも、私の場合・・・・・・実は結構DOLのリリファームが煮詰まったキャラでもあるので(交易LVカンストとか)、「今日はPK多いし、もう今はPKの好きに暴れさせとけばイイや><;」
みたいな気分になってしまって、インしてもプライベートファームの手入れと副官ボーナスだけ貰って落ちちゃう感じなんですよね、DOLは。
まあ・・・・・SOLが日々発見!と云う感じに対して、DOLは今はUP後でPKが五月蝿いから、インしてボーナス等の処理だけでもいいや・・・・・みたいな気分になっちゃっているのは事実です。

なのでDOL系の記事が少なめなのは仕方無いです。DOL系の記事を楽しみにされてる方がいましたらスミマセンです。

SOLは凄く正式課金に迷ってて、実は正式課金するか否か今日まで迷ってました。
SOLは良い部分も多いゲームですが、弱点っぽい部分もやっぱり多い感じがします。正直今の仕様は微妙な感じであります。

そう悩みつつSOLにインして、やっと最近始めた採取や生産やってましてたら、部曲の方に「リリちゃんは、まったりするの好き??」とか尋ねられたんですよね。
このゲームプレイ日記ブログの題名で「マッタリのほほん」ですから「凄く好きです!!」と答えたらば・・・・・SSのように部曲メンバーでまったりくつろぎました。(私の「李理布亞武」は一番左に寝てます)
そこで思ったんですよね、このまったり感があれば続けていけるだろう!と
それで落ちた後、正式課金に踏み切りました。(今課金すると安いキャンペーン中とか、そういうのも当然あるんですけどね)

と、いう訳で、SSはマターリ中の部曲メンバー四人の姿です。(エモの「くつろぐ」を選ぶと地面に寝ます)
 
 
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大キョンシー王
日曜日の夜の部曲のツアーの様子です。
三オンの呉の国の南の方にはキョンシー(幽霊)の洞窟があります。
そこに討伐ツアーに行って来ました。

入り口で祠でセーブ場所の代えをOKにして、洞窟に入りました。
どうも最初の頃と幽霊や魔物の配置が異なってるとの事です。

最初サクサクと進んで行きました。でも段々敵が強くなってきます。
それでも障害らしい障害も無く一番奥の大キョンシーの王に会えました。

LVは32とそんなに高い感じの無い大キョンシー王。
これも部曲の皆で力を合わせればサックリいけると思いました。

実際戦ってみると
最初に敵の王を守る雑魚の敵4体(たぶん4体だったと思うもしかして5体だったかな・・・・・)を、かたずけないといけないので、
盾役の方が耐えて、引き付け役の弓の方が大キョンシー王を引き付けて逃げ回り、後の皆は敵をボコる!!と、役割分担もバッチリいったんですが・・・・・
ボス敵の大キョンシー王が強い。

動きが速くて、分裂とかするんですね。取り巻きの雑魚も倒しても、時間がかかると再び現れるのとか・・・・・
特に分裂攻撃は強かった。大キョンシー王お一人でも強いのに二人になる訳で攻撃力は2倍以上に!!
実際、部曲の強い方々が、分裂大キョンシー王に各個撃破されていってしまって、3回討伐失敗して陣営の建て直しをしていました。

4回目の討伐。夜も遅くなったので、この討伐トライで失敗したら今日は執り合えず終了しようとの提案が出されました。
なんとも言えない敗北感の予感と、ボス討伐可能なのか?!と云う不安感が部曲内に広がったようにも思えました。
私は紙装甲で高火力の妖術なので、バタバタ死んでばかりでした。

そして4回目の討伐開始。
弓の部曲長が流石の凄い動きで敵を撹乱した所までは見てたのですが、後は敵を倒すのでイッパイイッパイになっちゃって、他の方の動きとか観察する暇無かったです。
基本的には盾が敵を引き付け耐える、弓が攻撃して撹乱。妖術はダメージを与える役、他の職業はそれぞれの特性を生かして攻撃(他の職業については私は全く詳しく無いです。)、みたいな感じでそれぞれの役割を皆さん凄くいい感じでコナシてたと思います。

そして敵ボス分裂も何とか乗り切り、大キョンシー王を倒す事に成功しました。
互角より敵ボスが少しだけ優位って感じの戦いだったので、凄い緊張感とかあって、また討伐可能なのかどうかも不明と、全体的に凄い良い緊張感に包まれた締まった良い感じの討伐だったと思います。
まあ・・・・最後に討伐できたのがハッピーエンド的で特に良かったのでしょうけども・・・・

SSは第4回目討伐チャレンジの前の様子。討伐可能なのかの不安感が皆の脳裏をよぎります。
 
 
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軍略をヤッテみた。
軍略とは
「軍略」とは「ミッション」の一種で、制限時間内に様々な目標の達成をめざします。
軍略には、「○○○の討伐」、「○○○の攻略」など、様々なシナリオが用意されています。
軍略はいつでも開催でき、ひとつのシナリオのプレイ時間は5分〜15分程度が想定されています。

軍略では、「敵の大将を倒せ」「特定人物を守りきれ」など、シナリオに応じた様々な勝利条件が目標として設定されます。
この勝利条件を一定時間内で達成すると、勝利となります。
軍略が終了すると、経過時間や、倒したNPCの数などに応じて「結果判定」が行われます。
この判定に応じて、PCは金銭、勲功などの報酬を獲得できます。

軍略によっては、副目標が設定されています。
副目標を達成すると、より高い評価が得られます。

魏・呉・蜀の勢力から受ける軍略は、「軍略報酬」を獲得できます。
軍略報酬を武将に「納入」すると、「軍団値(兵力)」が上昇し、合戦で有利になります。

今更ですが、やっと軍略にも参加してきました。
まあ・・・・今までソロで狩りのスタイルだったのでPTとか組んだ事は殆ど無かったのです。

部曲に入ったので部曲内PTとか組んでくださるので、PTにも入りやすくなったと言う感じです。やっぱり野良PTとかはちょっと怖い感じしますからね。(いつかは野良PTにも入ってみたい気もするけど・・・・・今はいいかな)

軍略やってみて思ったのは、やっぱりこのゲームはソロより集団戦に重きを置かれてるのかな、と言う事です。
ソロはやってて飽きる感じがありますけど、集団戦はハマル感じがあります。集団戦の方が面白いと思いました。

御世話になっている部曲さまには感謝であります。
 
 
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初めて合戦に出る!!
三国志オンラインの話です。
体験入会で或る部曲に入れて貰いました。そして其処で聞いたのですが、国に所属していれば合戦には出られるとの事だったので、初めて合戦に出てみました。
考えてみれば今までソロでズット狩りを黙々としてきたので、こういう大規模合戦に出るのは初めてだったりします。
リネ?の時以来という感じですが、基本的には別ゲームなので、やっぱり初めてって感じです。

色々あるモノなんですね。最初第二陣とか言われた時には、何の事やら全くワカリマセンでした。
どうも、第一陣から三陣まであって簡単にいえば3回戦って2回勝った側が合戦の勝者となるようです。(他にも色々要素はあるミタイでしたが私には良くワカリマセンでした。)
第二陣から出撃しました。
後は簡単な表示調整とかして、合戦に行きました。(大規模なので軽くする為の調節等)

やっぱりLV27だと弱いですね。なんか何にも出来ずに突出しない事だけ考えていました。妖術もLV27だとそれ程凄い技とか使えないので、なんか大した事は出来ませんでした。

SSは第三陣で敵に挟撃されて周りの方々と共に死んだ様子です。(生きているのは敵兵。)
二分程何にも出来ない状態になります。(これがデスペナルティー)
第一陣と第二陣は勝ちましたが、第三陣では負けました。結果的には勝利との事でした。(参加したのは第二陣と第三陣。)

大規模合戦は迫力がありますけど、自分が大した事出来なかったのが悔しい感じでした。
 
 
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ペットが増える?!
SSを撮ったのはセビリアのアパルトメントの衛兵前です。

ペットが沢山いますね。

どうもバグ技らしいのですが、真相は良くワカリマセン。

プレイヤーの心を和ませるペットが増殖するバグ技なので、なんていうか微笑ましいですね。実際其の場に居ましたけどナントナク場が和んでいました。
正式なヤリ方でペット償還をしている人もいました。新ペットでした。
新ペットでも「カンガルー」は今までのペットに比べて大きいです。

ペットが実装されたと言っても、ペットはそれほど役に立つ訳じゃ無いので、この位のバグ技は残して欲しいものですね。(一説にはバグ技ではなく、これこそ「隠し玉」の技なのでは無いか??との説もあるみたいです。)

それにしても和みますね。

追記
ナゴミ系の技でしたけど後日に修正パッチが張られて修正されてしまいました。なんとなく残念。
 
 
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関羽さまに会う!!!
蜀の国(成都)に行ってまいりました。
成都にはパンダが居ます。ちなみにLVは50!@@;
でも襲ってきたりはしません。一種の観光名所みたいです。

蜀でも有名武将の方々と会ってまいりました。
関羽さまです!!!!

なんか猪や狼やらを倒していると普通の狩りゲーにしか思えないのですが、有名武将様方と会ってる時には、嗚呼・・・・三国志しているなぁ・・・・・とか思えます。
やっぱり有名武将はグラフィックの書き込みとかデザインとかも気合い入ってて凄い感じがします。

関羽さま 引用「ウィキペディア」より
関羽(かんう、- 219年)は中国三国時代の蜀漢の武将。字は雲長。元の字は長生。
司隷・河東郡解良(現在の山西省運城市常平郷常平村)の人。封号は漢寿亭侯。諡は壮穆侯。見事な鬚髯(鬚=あごひげ、髯=ほほひげ)をたくわえていたため「美髯公」などとも呼ばれる。子は関平・関興。

その武勇、曹操が義理堅いと評した事から、後世の人間が神格化し関帝(関聖帝君・関帝聖君)とし、47人目の神とした。信義に厚い事などから、現在では商売の神として世界中の中華街で祭られている。そろばんを発明したという伝説まである。

『三国志演義』では、「雲長又は関雲長或いは関公、関某と呼ばれ、一貫して諱を名指しされていない」、「大活躍する場面が壮麗に描かれている」など、前述の関帝信仰に起因すると思われる特別扱いを受けている。

その生涯
彼の出身地は中国最大の塩湖である「解池」の近くにあり、その出身地から塩の密売に関っていたといわれている。また、暴利をむさぼる塩商人を殺したともいわれている。官吏に追われて幽州に逃げ、おそらく姓名を変えて関羽と名乗った。その後、劉備・張飛と出会い、終生劉備に忠誠を尽くした。黄巾の乱の時からの劉備の部下。地元・山西省の研究では、関羽は劉備より年上ながら、劉備を兄として仕えたという。

曹操が呂布を破った後、劉備が曹操を裏切って敗れ袁紹の元に逃げると、曹操の捕虜になった。曹操は関羽を偏将軍に任命し、非常に手厚く礼遇した。だが、関羽は功績を立てて曹操に恩返しをしてから、劉備の下へ戻ろうと考えていた。官渡の戦いでは、関羽は敵将の顔良の旗印と車蓋を見ると、馬に鞭打って突撃し、大軍の真っ只中で顔良を刺し殺し、顔良の首を持ち帰った。曹操は即刻上表して、漢寿亭侯に封じた。顔良を討ち取るという功を立てた関羽は必ずや劉備のもとに戻ると曹操は考え、関羽に重い恩賞を与えた。関羽はこれらの賜り物に封印をして、曹操に手紙を捧げて別れを告げ、袁紹の下にいる劉備の下へ去った。曹操はその義に感嘆し、関羽を追いかけようとする部下に対して、彼を追ってはならないと言い聞かせた。

赤壁の戦いの後、劉備が益州を攻略すると、関羽は荊州の守備を任され、魏・呉に睨みを効かせていた。しかし荊州に駐屯していた魏将の楽進になんらかの形で敗走させられている。彼の荊州の統治ぶりは、呉志『陸遜伝』によれば、恩得と威信が行き渡っていたものであったようだ。しかし関羽は部下には優しいが、同格の士大夫を見下すという悪い癖があり、このことが後に彼自身の災いを招くこととなる(関羽は庶人から成り上がっており、もともと士大夫より低い身分だった。反対に張飛は部下には苛酷だが、士大夫は尊敬するという性格であった)。

215年に、呉の魯粛・呂蒙らが長沙・桂陽・零陵の三郡を襲撃すると、関羽は三万の兵を率いて益陽に布陣。劉備も大軍を率いて関羽の助成に駆けつけ、一時は蜀呉同盟の崩壊の危機に至った。だが、関羽と通じた長沙の安成、攸、茶陵の三県、揚州廬陵の永新県の官吏らが桂陽の陰山城で謀反を起こし、続けて中郎将の袁龍らが反乱を起こしたこと、さらにこの年、曹操が大軍を率いて漢中の張魯を攻撃したこと、これらが両陣営に和平の機運をもたらし、関羽と魯粛の対談が実現した。結果、湘水を境界線とし、長沙・江夏・桂陽は呉領に、南郡・武陵、そして一度は奪われた零陵が蜀領となった。

219年、劉備が漢中王を称し、関羽は前将軍・仮節に任じられた。この年、関羽は水陸両軍を率い、息子の関平、都督の趙累らとともに樊城を守る曹仁を攻撃した。曹仁の援軍として、七軍を率いた于禁が駆けつけるが、折からの悪天候により大洪水が起こり、七軍は水没。関羽は船団を率いて攻撃をかけ、于禁を降伏させ、ホウ徳を斬った。また、このとき魏の荊州刺史・胡修、南郷太守・傅方らが関羽に降っている。関羽は樊城を完全に包囲し、別将を派遣して襄陽までも包囲した。さらに関羽は方々に印綬をばら撒き、魏領内の群盗などが一斉に蜂起。魏丞相掾・魏諷までもが関羽に通じて反逆を起こし、中原は震動。曹操は遷都まで考えたほどであった。

だがそれより前、呉の孫権から関羽の娘に、彼の息子との婚姻の申し入れがあったとき、関羽はこれを断り(「虎の娘を犬の子にはやらん」との発言が『三国志演義』等に見られるが、正史には見られない。 ちなみに民間伝説では関銀屏という名前がある )、孫権を怒らせたことがあった。曹操の部下の司馬懿と蒋済は関羽と孫権の仲が悪くなったことを見計らって呉と同盟を結ぶ事を提案し、曹操は呉と同盟を結んだ。これで逆に魏と呉の軍に挟撃されてしまう事になる。さらに孫権は、関羽に不満を持っていた麋芳と傅士仁に誘いをかけ寝返らせ、江陵・公安を奪った。一方の魏も徐晃を派遣して曹仁を救援させた。関羽は結局勝利を得ることができず敗走した。孫権はすでに江陵を占領しており、関羽の部下やその妻子たちを捕虜にしていたので、関羽の軍は四散した。ついに臨沮で関羽と関平は退路を断たれ、呂蒙、陸遜の策をもって潘璋の部下・馬忠の罠により捕らえられ、呂蒙、陸遜らによって斬首された。一説では、孫権は関羽の武勇を惜しみ、部下として使いたいと願ったが、側近にたしなめられたとされている。

関羽の首は、孫権の使者によって曹操のもとへ送られ、曹操は国葬という諸侯の礼をもって彼を葬った。 曹操によるこの処置は異例の事であった。蜀に対する外交政策にもとれるが、曹操が関羽を欲しがり、恐れていたことを考えると心から礼節を尽くしたといえる。曹操はこの式の後、然程間を置かずに病死している。

また、この戦で大功を立てた呉都督・呂蒙は、関羽の死から二ヵ月後に、かねてからの病がぶり返して死んだ。 関羽の恩徳を慕った民衆は、呂蒙・曹操や、その他の樊城攻撃に携わった人間達が、次々と死んでいく様を「関公(関羽の敬称)の祟りだ」と噂し、後世にも伝わる関羽伝承をまことしやかに語ったという。

関羽を殺された劉備は怒りのあまり、呉に対して夷陵の戦いを起こしたが、大敗を喫した。

260年、蜀漢より壮穆侯の諡号を送られた。

263年に蜀が滅び鍾会のクーデターによって無法状態になった成都で関羽の一族は誅殺されたと言われているが、定かではない。この事は東晋の王隠著『蜀記』に記されているが、『蜀記』は陳寿の『三国志』に注をつけた裴松之が信用できないと非難しているためである。ちなみに、今現在関羽62代目の子孫を名乗る関新剛が中国に存在するが、関羽の子孫かどうか実際の所は不明である。

その人物
武を誇る一方で、学問を好み、『春秋左氏伝』を諳んじるなど文武両道の面を持っていた。また敵方でありながら張遼、徐晃とは親交があり、彼らとは互いに尊敬しあっていた。 同時代の人々からは関羽の武勇は張飛と並んで一万の敵に相当するといわれているが、一方では、「自分の勇名を恃んで猪突猛進してしばしば兵を失う」(蜀書・廖立伝)という批判もあった。 またプライドが高く、黄忠が後将軍に任じられた際「あんな老いぼれと一緒か」と不満を表し、前将軍への就任を拒否したこともある。 三国志を著した陳寿は、正史・関羽伝の最後に張飛の人物評と併せてこのように記述している。 「関羽・張飛の二人は、一騎で万の敵に対する武勇があると賞賛され、一世を風靡する剛勇の持ち主であった。関羽は顔良を斬ることで曹操に恩返しを果たして去り、張飛は厳顔の義心に感じ入ってその縄目を解き、両者並んで国士と呼ぶに相応しい気風を備えていた。しかし、関羽は剛毅が行き過ぎて傲慢であり、張飛は乱暴で部下に恩愛をかける配慮が無く、これらの短所が仇となって、あえなく最期を遂げる事となった。世の理とは、こういうものなのだ」(「關羽、張飛皆稱萬人之敵、為世虎臣。羽報效曹公、飛義釋嚴顔。並有國士之風。然羽剛而自矜、飛暴而無恩、以短敢敗。理數之常也」『蜀志・関羽伝』)

なお、221年に曹丕(文帝)が劉備が呉に報復を行うか、と臣下に諮った際に、臣下は「名将と呼べるのは関羽一人である」と答えており、敵国である魏においても武将としての関羽の評価は高かった事を伺わせる(魏志『劉曄伝』)。同じ劉曄伝には「勇三軍に冠として将たり」ともある。

また算盤(そろばん)を開発したという伝説があり、関帝廟などにはそうした説が伝わっている。

真偽は定かではないがプライドが非常に高かったため、諸葛亮が関羽にご機嫌をうかがう旨の手紙を出したといわれる。

後に、民衆の人気が凄く高かった関羽さまは神に祭り上げられます。
各地に関帝廟とかがあるのは其の為です。

何故関羽さまが神になったかのエピソードは
関羽さまは死後自分の首を探して亡霊悪鬼となっていました。そして世を呪っていました。
その或る日、凄い高僧が宿に泊まった時、関羽さまの亡霊が高僧に襲いかかりました。
高僧はそれが関羽の亡霊だと知ると言いました。
「生きている時は世の混乱を治そうと義によって立ち上がった貴方は何故今このような事をしているのか?」
「貴方に討たれた武将が何人いるか数えてごらんなさい!」
其の言葉を聞いた関羽さまは自らの過ちに気づき改心して高僧に弟子入りをします。
とても大変な修行をした関羽さまは神仙と同様の力を持つ事となりました。
そして一般大衆を加護しているのです。

後、都市伝説ですが、
日本の戦後に横浜の方面で疫病が流行してしまいました。
沢山の人が死に苦しむなか人々はどうする事も出来ませんでした。
ある日、その横浜の方面で一人の人が関羽さまの像を背中にしょって走り回る姿がありました。
その人は横浜の其の疫病の流行った方面を一生懸命走り回りました。
すると不思議な事に次の日から疫病が消えて無くなった・・・・という都市伝説があります。
(横浜)中華街などで関羽さまの関帝病が大切に祭られているのは其の為とも言われています。

偉大な武将関羽さまは、今でも伝説を残しているのです!

シ水関のエピソード(三国志演義より)
シ水関には董卓軍猛将・華雄が陣取っている。豪傑が幾人も華雄の武の前に撤退する中、名乗りを上げたのがまだ無名の関羽であった。
群雄達は関羽の暴挙ともいえる行動を非難するが、曹操が関羽を擁護し、景気付けに酒を勧める。
関羽はそれを受け取らずに華雄に挑み、見事首級を上げた。曹操の手の中にあった酒は、まだ温かかったと言う。

 
 
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「クルス・デル・スール」チャプター3アップデート
「クルス・デル・スール」のチャプター3のアップデートが有りました。

公式HP(2008.02.20 Ver.3.007 → 3.008への変更・サーバーアップデート情報)
http://www.gamecity.ne.jp/dol/news/body.htm

http://www.gamecity.ne.jp/dol/cruzdelsur/ganniversary.htm

■主な追加要素&変更点は
オセアニア海域の充実
拠点回航
中南米各国開拓地が中枢都市化した場合のドック
スキルブック
イルカ
新レシピ
新船、ロイヤルフリゲート
隠し玉(複数あり??)
等ですね。

●ゲームで実装されても先行廃人の方々は直ぐに活用&使用できたりしますが、私みたいなノンビリ人には(一般市場として活用できるまでには)直ぐには、活用や使用出来ない要素なので今の所何も言う事はないですが・・・・・・・やっぱりボリューム不足感はありますね。
それに私個人としては一番活用したいスキル封印(スキルブック)が、一般市場に出回り御値打ち価格で安定供給されるまでには、時間がかかりそうですね。

フリゲートのファンの方々の一部には熱烈歓迎されてるロイヤルフリゲートですが、私個人は重装船尾楼とかが材料にあったりするのや、砲門が最大66門しか積めないとか、装甲が薄い等が引っかかるので、普通に戦列艦の方が良いような気がします。
操縦が凄く上手い方はロイヤルフリゲートの機動性を生かした戦い方とか出来るので、そういった方々には歓迎されるかもしれませんね。
只、フリゲート艦に重装船尾楼って変な気もしますが、ゲームなのでファンタジーと割り切るしかないのでしょう。

新レシピの多くは備え付けの物が多いようなので、やっぱり不便さを感じますね。
只、旋回マイナスの無い、良い補助帆が出たらしいので、それは高騰すると思われます。

まだ、全部の情報が正確とは言い難い状況なので、これからジックリと検証や実感していく事になると思われます。

ちなみに、隠し玉ですが、全く期待していません。
 
 
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建業に行ってみた
三国志オンラインの「呉」の国の首都、建業に行ってきました。

やっぱり有名武将に会ってみたかったので会いに行きました。

「孫尚香」将軍に会った時のSSです。

他にも「甘寧」将軍や「孫権」君主など有名な将軍がいました。

こういう有名武将と会ってる時は、嗚呼・・・・三国志してるなぁ・・・・とか思います。

建業を色々見物して回りました。
建物や通行人や武将の方々とか、雰囲気は出てると思いました。

「李理布亞武」はやっとこさ妖術LV26・・・・・・。先は遠いです。
 
 
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長安の盛況
長安は荊州の水鏡村と同じで中立地帯です。
特に長安は大都市なので人が一杯います。放置バザーとかが多いのですが、買いに来る人も多いです。
やっぱりこの盛況ぶりをみると活気があっていいなぁ〜〜とか思います。

大航海時代オンラインの大都市のリスボンも人が多いですが、今ならば長安の方が人が多いと思います。

MMOゲームには人が多くて活気がある方が良いと思います。
水鏡先生の勧めで、水鏡村を出たキャラクターが次に向かうは長安。
前漢の時代に都とされた地で、水鏡村よりも遥かに大きな都市です。
行動範囲は大陸全土へと広がりますが、危険の度合いも増しています。長安では高性能な武器や防具、強力な戦闘技能などを購入できるので、キャラクターをしっかりパワーアップさせましょう。

また、長安は人が集まる中心都市です。他のプレイヤーとの出会いは、それこそ星の数ほどあるでしょう。そんな出会いの中から共にプレイする仲間も生まれるはずです。仲間と協力してキャラクターの育成をしたり、依頼を達成したり、強大な魔物に立ち向かったり……。
MMORPGの醍醐味である他のプレイヤーとのコミュニケーションも、長安では濃密に楽しめるはずです。信頼できる仲間ができたなら“部曲”(ギルドのようなもの)を結成するのもいいでしょう。
そうした仲間と共に、中国大陸で覇を競う3大勢力、魏・呉・蜀、いずれかに仕官してみるのもいいかもしれませんね。

活気のあるMMOゲームは良いなぁ〜〜と思いました。
 
 
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St.Valentine’s Day in 2008 イベント
St.Valentine’s Day in 2008 イベントをこなして来ました。
バレンタインイベントなので恋の悩みをプレイヤーが解決するというモノでした。
リスボン編には続きがるというので其処も楽しみな感じであります。
大好きなあの人への思いを、甘いショコラトルの香りが包み込む―――。
恋する人々の気持ちが響き合う季節“バレンタイン”がやってきました。

「今年こそ、この恋が叶いますように…」
と願う男女にとっての特別な日“バレンタインデー”を前に、

一目惚れしたロンドンの男性に、距離の壁を乗り越えて想いを伝えたいと願う女性“エルバ”
秘めた想いを抱えながら依頼人のために恋文を書く男性“恋文屋”
「憧れの彼に告白する勇気が出ない」と悩む女性“パトリシア”

といった人物が現れます。
航海者の皆さんは、悩みを抱える人々の恋のキューピットとなり、
彼らの思いが成就するよう協力してあげてください。
彼らの恋を実らせていくと、皆さんにも素敵なお礼が届くようですよ。

さて“バレンタイン”気分に酔う各国の本拠地には、この時期には欠かせない特製の飲み物
“砂糖入りショコラトル”を振舞ってくれるNPCや、お祭を楽しむキャラクターも登場します。
賑わいを増した各街を訪れて、色んなキャラクターの恋話に耳を傾けたり、特製ショコラを味わったりと、
2008年の“バレンタインデー”を心行くまでお楽しみください。

イベントをやり終わった感想は、バラの花束とか貰ったのですが枠が無いので、直ぐ売りに出さないとイケナイ状態なのが、厳しい感じを受けました。
イベント其のモノは、悪く無かったと思います。
 
 
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